レイ・チャールズ Ray Charles、5ロイヤルズ The “5”RoyalesのジョニーJohnnyとユージーン・タナーEugene Tanner、そしてサム・クックSam Cooke(キーン・レコードKeen recordでヒット曲を出している間、ポップにおける自分なりのやり方を探している)が発表しているゴスペル的なリード・シンガーの歌い方は流行していたが、まだ名前がついていなかった。

それでも、より多くの新しいタレントが取り入れていた。1958年シカゴ出身のグループであるインプレッションズThe Impressionsは、リード・シンガーのジェリー・バトラーJerry Butlerが、「フォー・ユア・プレシャス・ラブFor Your Precious Love」を、訴えるようにして感情を込めて正確に歌い、大ヒットになった。



そして1959年、マーキュリー・レコードMercury Recordsは、キャムデン・ジュビリー・シンガースThe Camden Jubilee Singersのシルキー・ボイスのベテラン、ブルック・ベントンBrook Bentonを獲得し、サム・クックのリードに倣ってポップな感じになり、「イッツ・ジャスト・ア・マター・オブ・タイムIt’s Just a Matter of Time」でR&B第1位、ポップでトップテン入りした。


この種の音楽に対する言葉は1959年末以前には完全には現れていなかったが、この時、キャノンボール・アダレイ・クインテットThe Cannonball Adderley Quintetが、サンフランシスコ・ジャズ・クラブにおけるライブ・アルバム、「ザット・ゼアThat There」と呼ばれる12分間の練習などを録音した。

ジャズは順調に進歩し人気があったが、実際に演奏している人たちの中には、あまりに抽象的になり過ぎていると感じる人もいて、丸く太って社交的なアルト・サックスの演奏者アダレイAdderleyもそう感じた。

「ザット・ゼアThat There」は、アダレイのバンドを有名にしただけでなく、ダンスすることもでき、ブルース転調にこだわりながらもグルーブ感があったので、アルバム「ザ・キャノンボール・アダレイ・クインテット・イン・サンフランシスコThe Cannonball Adderley Quintet in San Francisco」は、以前のどの作品よりもよく売れた。ジャズの報道陣が、この新しい手法を何というかと質問した時に、アダレイはソウルだと答えた。
そして実際にアトランティックは、1958年のレイ・チャールズ―ミルト・ジャクソンRay Charles-Milt Jacksonのアルバム、「ソウル・ブラザースSoul Brothers」や「ソウル・ミーティングSoul Meeting」のタイトルでもこの言葉を既に使っていた。黒人社会では流通し始めた言葉だった。

