エディは、もともとはカントリーのスターになりたかったのだが、結局彼の歩んだ道はもっと儲かることになった。
しかし、カントリーに何が起きたのか?答えは流行の変化だった。一つには若い歌手たちは昔のスタイルのカントリーとロックンロールの境界をあいまいにしたのだが、エバリー・ブラザースThe Everly Brothersとジョニー・キャッシュJohnny Cashはその先駆者だった。
![Amazon.co.jp: Everly Brothers -Hq- [Analog]: ミュージック](https://m.media-amazon.com/images/I/7162IC4bHUL._UF1000,1000_QL80_.jpg)

同様にジョニー・ホートンJohnny Hortonの1957年ヒット「アイム・カミング・ホームI’m Coming Home」は狂ったようにロックを演奏したが、ポップ・チャートでは全然だった。

![Johnny Horton – I'm Coming Home – Vinyl (7", 45 RPM + 2 more), 1957 [r11870076] | Discogs](https://i.discogs.com/gOkcBT36mnnSjBR7bq7UhrKoYH0Lyx5fX-pzOLF7YRo/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTExODcw/MDc2LTE1NDIzMzA4/MzYtMjQwNy5qcGVn.jpeg)
マーティー・ロビンスMarty Robbinsも、より伝統的ではある(30歳を超えていた)もののジャンルをまたがって、ポップ・ヒットになった「ア・ホワイト・スポーツ・コートA White Sport Coat ( And a Pink Carnation)」と、「ティーネージ・ドリームTeen-Age Dream」を歌った。
![Marty Robbins With Ray Conniff – A White Sport Coat (And A Pink Carnation) – Vinyl (Bridgeport Pressing, 7", 45 RPM + 2 more), 1957 [r2333290] | Discogs](https://i.discogs.com/ta9p_tnOi1J-ZbatTHp5LaR3T-3QDdg3XEllbvHYuR8/rs:fit/g:sm/q:90/h:597/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTIzMzMy/OTAtMTQ0MjI4MTg5/My0yMTE4LmpwZWc.jpeg)
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一方RCAレコードでは、名ギタリストで敏腕プロデューサーのチェット・アトキンスChet Atkinsが、ハロルド・ブラッドリーHarold Bradleyのプロデュース手法を参考にして、カントリーのレコードに、フィドルやスティール・ギターを強調せずに弦楽器、時には金管楽器やバック・コーラスを加えた。


この結果、アトキンスの初期の弟子の一人であるドン・ギブソンDon Gibsonは、「オー・ロンサム・ミーOh, Lonesome Me」がポップでトップテン入り(カントリーでは1位)のヒットとなった。

これはすぐにナッシュビル・サウンドと呼ばれるようになったが、RCAスタディオB RCA Studio Bとブラドリーズ・バーンBradley’s Barnで生まれ、レイ・プライスRay Priceなどカントリー・スターたちの新たな定番になった。


