徐々にではあるが、スター集団が現れつつあった。バディ・ホリー&クリケッツBuddy Holly and The Cricketsはすごい勢いだった。
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1957年末には、ジェリー・アリソンJerry Allisonのガールフレンドの名前をタイトルに入れ、バディのトレードマークであるしゃっくり唱法をボーカルに使った「ペギー・スーPeggy Sue」がリリースされた。




続いて1958年初めには、クリケッツの「オー・ボーイOh, Boy!」、

「メイビー・ベイビーMaybe Baby」が出た。
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バンドは1958年1月に、夏の太陽が輝くオーストラリアのツアーに、ジェリー・リー・ルイスJerry Lee Lewis、ポール・アンカPaul Ankaと共に行き、帰国するとヒット曲を作り、3月にはイングランドで演奏するために飛行機に飛び乗ったが、そこでは終わることのない熱狂に火が付いた。
大佐はエルビスを外国に行かせなかったので、バディはイギリスのどの子も見習うロックンロール・スターのようなもので、現に見習ったが、訳の分からない輸入法のせいでアメリカ製のエレキ・ギターを入手することはできず、国内産はとても出来が悪かった。


彼らはエド・サリバン・ショーThe Ed Sullivan Showに2回登場し、時間があればノーマン・ペティNorman Pettyのスタディオに飛び込んで、レコーディングを行った。

