メンフィスではサム・フィリップスがブルースをやめて、ロカビリー歌手を集め、新レーベルのフィリップス・インターナショナルPhillips International(PI)を立ち上げて、カントリー特有の鼻歌訛りが少ないポップ音楽に専念した。

そのロゴは、「ニューヨーク―メンフィス―ハリウッド」で、おそらく希望的観測だったのだろう。9月に、バディ・ブレークBuddy Blake、ヘイデン・トンプソンHayden Thompson、バーバラ・ピットマンBarbara Pittman、ジョニー・キャロルJohnny Carroll(サムがデッカ・レコードから引き抜いた)、そしてビル・ジャスティスBill Justisのレコードを出してスタートした。
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PIの裏の動機はほんの少し皮肉なもので、サムはオランダのレーベルであるフィリップスPhilipsがアメリカ市場にいずれは参入してくることを分かっていて、その時までには似た名前のレーベルを活動させておき、買収せざるを得なくさせる計画だった。サムは、5曲全部を同時にリリースし、そしてどのアーティストが売れても、長期契約を結ぶとジョニー・キャロルに話した。その賭けはサムの完全な勝利にはならず、5曲のうちビル・ジャスティスの「ローンチーRaunchy」は良く売れ、このインストゥルメンタルはすぐに注目を浴びてポップ・レコードで1位になり、エルビス以来のサン・レコードの大成功になった。
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ジャスティスはすでにスタディオのバンドリーダーとしてサムに雇用されていたので、ある意味で契約済みだったのだ。しかし、本当のサプライズは、PI創業直後だった。マリオン・ケイスカーMarion Keiskerは、1950年にサムと同じラジオ放送局にいたときから傍らにいたのだが、辞めて空軍に入ったのだ。


サムと大げんかをしてそのまま辞めてしまった。エルビスがクリスマスに立ち寄った時、サン・レコードが変わったことを察知したのだが、そのうちの一つはケイスカーがもうそこにはいないことだった。もう一つは、この後2~3週間分からなかったのだが、しばらくヒットの出なかったカール・パーキンスCarl Perkinsがコロンビア・レコードColumbia recordsと契約しようとしていたことだ。それも良い、まだ、ジェリー・リーJerry Leeがいる。
