もちろん問題の一部は全く問題でなく、ロックンロールはリズム&ブルース、カントリー・ミュージックより大きいので、この二つを取り込んでしまおうという勢いだったものの、三つとも全て少数派の関心ジャンルだった。



しかも、成長しつつある白人のティーンエイジャー市場を少しも考えていない黒人レコード会社は足元をすくわれると、業界紙は社説で書いていた。このことは部分的には正しい。BBキングB.B.Kingはまだヒットを出していて、ジミー・リードJimmy Reedは実にうまくいっていた。

チェス・レコードは、チャック・ベリーChuck Berry(マディ・ウォーターMuddy Watersのギタリストであるジミー・ロジャースJimmy Rogersと一緒に、「ウォーキング・バイ・マイセルフWalking By Myself」でマイナー・ヒットを飛ばした)とは別にブルースをリリースし、ドン・ロビーDon Robeyはメンフィス出身の新世代のブルース・アーティストたちを自分のデューク・レーベルDuke labelから売り出していた。



ジョニー・エースJohnny Aceは時代を超えて存在し、ジュニア・パーカーJunior Parkerをサム・フィリップスSam Phillipsから引き抜き(サムのブルースに対する関心はロカビリーが始まるとすぐに消え失せた)、たくさんのヒットの中で最初が「ザ・ネクスト・タイム・ユー・シー・ミーThe Next Time You See Me」であり、ジョニー・エースのサークルから別の若者であるボビー・ブルー・ブランドBobby “Blue” Blandを選んだ。



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ボビーは滑らかな声で歌うのだが、時々奇妙なうなり声を挟み込んで、「ファーザー・アップ・ザ・ロードFarther Up the Road」は故郷以外の聴衆に初めて聞いてもらった曲だ。
