スティールのクリエイティブ・チームなら、ロックンロールのことを知らなくても許されただろう。
実際に、RCAがエルビスのレコードを1956年後半、イギリスにある自分たちのレーベルからリリースし始め、キャピトルCapitolを買収したEMIがどういうわけか、疑うことを知らない国イギリス(この言い方は、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌New Musical Expressによれば「馬鹿の一つ覚え」だ)でビー・バッパ・ルーラBe-Bop-A-Lulaを発売するまで、唯一の判断基準はビル・ヘイリーが発売したものだけだった。
しかし、ヘイリーは何曲かまともなレコードを出した後、マンボ・ロックを見ても分かるように、訳が分からなくなった。
最悪だったのは、映画「ロック・アラウンド・ザ・クロックRock Around the Clock」というやっつけ仕事の契約をしたことで、
急いでかき集められたのは、アラン・フリードAlan Freed、プラターズThe Platters、
アーニー・フリーマン・コンボThe Ernie Freeman Combo、トニー・マルティネス&ヒズ・バンドTony Martinez and His Band、
そして、ラス・ベガスのラウンジ・バーのロックの出し物、フレディー・ベル&ベルボーイズFreddie Bell and the Bellboysで、彼らの出演時間は不相応に長かった。