11月21日、ボブ・ニールへの支払いを含め、新契約の全取り決め事項が最終的に固まり、やかましいRCAの連中、サム、ハンク・スノウHank Snow(多分、ジャンボリー・アトラクションJamboree Attractionsにおける大佐のパートナーだったからだろう)が、サンに集まって契約に合意した。
(トム・ディスキン、ジム・クラッジントン、ザ・コル、エルヴィス、ハンク・スノー、ボブ・ニール、H・コールマン・ティリー3世、サム・エスグロ – 1955年11月21日。エルヴィスはRCAに売却された。)
RCAは未払いの印税問題を引き受け、35,000ドルが契約金額となり、販売されたレコードに関するエルビスの印税率はサン時代の3%から5%になった。そして、全国最大の音楽出版社の一つであるヒル・アンド・レンジ・ミュージックHill and Range Musicとの間には、複雑な出版契約が交わされた。サン以外にサムは、放送のパーソナリティが全員女性という特徴のあるラジオ局WHERを当時持っていて、パーソナリティの中の一人がケイスカーさんMs. Keiskerだった。
契約調印を終えた後、エルビスとその両親、ハンク・スノウと大佐が全員スタディオに押し寄せ、ケイスカーさんが契約を祝う懇談の司会を務めた。そして、21歳誕生日の2日後、1956年1月10日に、エルビスはニューヨークにあるRCAスタディオに入り、「ハートブレーク・ホテルHeartbreak Hotel」を録音した。