アメリカはロックンロールが台頭して非常事態に入ろうとしていた。既に防衛体制をとりつつあり、ナッシュビルでは、身だしなみが良く、話し方が上品な、チャールズ・ユージーン・パット・ブーンCharles Eugen “Pat” Booneが、ある狂気の科学者による反エルビスという試みだったのかも知れないが、ランディ・ウッドRandy Woodのドット・レーベルDot labelから、黒人レコードのつまらないカバーを苦労しながらリリースしていた。
「エイント・ザット・ア・シェイムAin’t That a Shame」、
「アット・マイ・フロント・ドアAt My Front Door (Crazy Little Mama)」で、
そして、本当に信じられないことだが、オリジナルとほぼ同時に、トゥッティ・フルッティを出した。
(たいして売れなかったが、この後も続いた。)この音楽が少年非行を引き起こすのかどうかを見るための研究が始まった。ウォルト・ディズニーWalt Disneyはテレビ番組ディズニーランドDisney-landを始めたが、それは遊園地と同様に、週毎の番組、トゥモローランドTomorrowland、アドベンチャーランドAdventureland、ファンタジーランドFantasyland、フロンティアランドFrontierlandに分かれていた。
フロンティアランドは、デイビー・クロケットDavy Crockettの生涯を連載し、テネシーの野外活動好きの人でテネシー州を出てテキサス州に向かう(彼の仕えていたテネシー議会で述べた有名な言葉は「私はテキサスに行き、君は地獄に行く」)のだが、テキサス革命の間にアラモを守って死んでしまう。
このエピソードのテーマ・ソングは4人の演奏者(ビル・ヘイズBill Hayes、テネシー・アーニー・フォード”Tennessee” Ernie Ford、ディズニーのシリーズでクロケットを演じたフェス・パーカーFess Parker、ウォルター・シューマンWalter Schumann)によってとてつもないヒットとなり、アライグマの毛皮製の帽子とBB銃が流行した。
しかし、1955年も終わり、ドリフターズThe Driftersのホワイト・クリスマスWhite Christmasが毎年の恒例としてチャートを上昇し始めたが、変化はまだ始まったばかりだった。