なんと、もっと悪いことが起きた。リトル・リチャードとのレコーディング・セッションが、ドン・ロビーから放免されるまで保留になったのだ。
9月になってようやくプロデューサーのアート・ループとリチャードのマネージャーが話をまとめ上げ、この時期に最も都合の良い場所はニューオーリンズだった。
バンプス・ブラックウェルBumps Blackwellはまだ仕事を覚えている最中だったが、ループはブラックウェルに難題を吹っ掛けた。
それはリトル・リチャードとのレコーディング・セッションを監督して、ヒット曲を引っ提げて帰ってくることだった。9月13日、バンプス、リチャード、デイブ・バーソロミューのわずかなミュージシャンは、ニューオーリンズのすべてのヒット曲を録音したコズィモ・マタッサCosimo MatassaのJ&Mスタディオ(そしてその時もまだ、町で唯一のレコーディング・スタディオ)に集まり、お互いを評価した。
リー・アレンLee Allen、レッド・タイラーRed Tylerはサクソフォン、アール・パーマーEarl Palmerはドラムス、ヒューイ・スミスHuey Smithはピアノだった。
スミスは後に「リチャードがピアノを演奏するまでは僕がセッションで演奏したんだ」と言った。ファッツ・ドミノFats Dominoやロイ・プロフェッサー・ロングヘア・バードRoy “Professor Longhair” Byrdといったニューオーリンズのピアニストに比べ、ジョージア生まれのリチャードは、あまりピアノが上手くなかった。
「あいつらは俺のことを馬鹿でおかしいし、自分がどこに向かっているのかわかってないと思ってる」と、リチャードはスタディオで怒っていた。その日は何とか4曲をこなした。ほとんどがスローなブルースで、リチャードがかつてRCAやピーコックPeacockで録音したものだったが、誰も満足しなかった。これらはステージ演奏で数合わせのために使ったおとなしい曲だった。翌日再び戻って来て、もう4曲録音したが、やはり何事も起こらなかった。バンプスは昼休憩にしようと言って、リチャードが何度も演奏したことのあるデュー・ドロップ・インDew Drop Innに全員で行ったが、たぶん他のミュージシャンも演奏したことがあっただろう。彼らは食べ物と飲み物を少々注文し、リチャードは野外ステージにあるピアノを見つけた。彼は飛び上り、ゲイ・バーでショーのためにいつも取っておいた曲を演奏し始めた。