5月に起きたもう一つの出来事は、ルー・チャッドLew Chuddが長年望んでいたファッツ・ドミノFats Dominoのブレークを成し遂げたことだ。
1950年の「ザ・ファット・マンThe Fats Man」以来、ファッツはR&Bチャートでは好調だったし、ファッツをかけるポップ・ラジオもあったがチャート入りしなかった。
「エイント・ザットゥ・ア・シェイムAin’t That a Shame」によって、すべてが変わった。
この曲はそぞろ歩くようなミドル・テンポのピアノのメロディが目立ち、ファッツが愛嬌のある声で失恋を歌っている。たまらないほど魅力的で、R&Bチャートで1位になっただけでなく、ポップ・チャートでも10位になり、ポップでの地位を確立した。さらにチャドはデイブ・バーソロミューDave Bartholomewが作った別のナンバーも手に入れたが、それはギタリストのスマイリー・ルイスSmiley Lewisが演奏したものだった。
「アイ・ヒア・ユー・ノッキンI Hear You Knockin’」というニューオーリンズの昔からの曲で、地元の才能あるピアニスト、ヒューイ・スミスHuey Smithがホスト役を務め、これもヒットした。チャドはニューオーリンズを支配しているように見えたが、チェス兄弟もここで足場を築こうとしていた。
チェスは、1月にホーケッツThe Hawkettesというボーカル・グループで幸運をつかんだ。というのは、「マーディ・グラス・マンボMardi Gras Mambo」というレコードの発売が、市全域で流行した時期に間に合ったからだ。
しかしグループはごたごたして、消滅してしまったのは残念だ。そこでリード・ボーカルを取った若者、アーロン・ネビルAaron Nevilleには才能があった。
(10月に、ジョニー・ビンセントJohnny Vincentと協力して、チェス・レコードはボビー・チャールズBobby Charlesのレコードを発売した。チャールズは、「シー・ユー・レイター・アリゲーターSee You Later Alligator」を、電話でチェス兄弟の一人に歌ったのだった。数か月後、チェス兄弟は、チャールズの本名がロバート・チャールズ・ギドリーRobert Charles Guidryで、白人のケイジャン人だと知って驚いた。)