メイベリンMaybellene(裏面は「ウィー・ウィー・アワーズWee Wee Hours」)は、レオナードがアラン・フリードAlan Freedとの商談でニューヨークに行くまで、完成後2か月間そのままだった。
レナードはアセテート盤の名前も曲名もないレコードをフリードに預け、「これをかけてくれ」と頼んだ。
フリードはかけた。「シカゴに戻るまでに、フリードが何度も電話をかけてきて、『今までのレコードで最高だ』と言った。」チェスは、新しいレコードについてはとても慎重で、初回に2,000枚以上をプレスすることはあまりなかった。「メイベリン」はニューヨークからの需要にこたえるだけで1万枚をプレスすることになり(フリードはある番組で立て続けに2時間このレコードをかけ続けたようだ)、それからは狂ったようになった。
カントリー・シンガーのマーティー・ロビンスMarty Robbinsによるカバー・バージョンが出たが売れなかった。
アンサー・レコード「カム・バック・メイベリンCome Back Maybellene」も出たが売れなかった。オリジナルしか売れなかったのだ。
初版ではチャック・ベリーが唯一の作家だったが、8月より後にプレスされたレコードには、アラン・フリードと、チェス・レコードが入居していたビルの家主であるラス・フラットRuss Frattoという人が加わったことを、レコードを買ったりジュークボックスでかけたりしているティーンエイジャー達は、気がつかなかったに違いない。チェスがフリードに分け前の一部を与えた理由は簡単にわかるし、クレジットの中に家主が入っているもっともな理由もいくつか推測できるが、ベリーが印税の前払い金を家主から受けとることを取り決めたという、レナード・チェスの息子マーシャルの憶測はありそうもない話だ。というのは、ベリーは後に音楽ビジネスに精通したが、当時はまだそうでなかったからだ。