カリフォルニアのボーカル・グループは、いくつかの例外を除いて、まだ本格的な人気が出ていなかった。キャピトルCapitolはファイブ・キーThe Five Keysと契約していて、このグループは1951年にアラディンAladdin recordsから出した「ザ・グローリー・オブ・ラブthe Glory of Love」が大ヒットしたことがあり、その後姿を消した。
ファイブ・キーズは1955年にノベルティ・ソングのリング・ティング・トングLing Ting Tongでスタートした。
この曲は、チャイナタウンに住むタイトル・キャラクターが歌う、多少人種差別的な内容であった。「アイ・ア・スモカム・ブーアイアイ・アイ・ア・スモカム・ブーEye a smokum boo-eye-ay, eye a smokum boo」という歌だった。中国系アメリカ人はこのレコードを買わなかったようだが、他の人たちはたくさん買って、ポップ・チャートでトップテン近くまで行った。ところが、ポップで実際にトップテンになったボーカル・グループのレコードは、誰も予測していなかったペンギンズThe Penguinsの「アース・エンジェルEarth Angel」だった。
粗削りで一見コピーできそうもなかったが、クリュー・カッツThe Crew-Cutsが思い切って、落ち着いた感じのバージョンにしたところ、ペンギンズの後を追ってチャートを駆け上がった。しかしペンギンズはジュークボックス・チャートではずっと良く、これはたぶんティーンエイジャーが本当に聞きたいものをよく反映していたからだろう。
このことに気づいたシカゴのマーキュリー・レコードMercury Recordsは、ペンギンズのマネージャーでバンドのアレンジをしながら、ロサンゼルスでいろいろ活動していたバック・ラムBuck Ramという男のところに行き、ペンギンズとの契約をお願いした。
ラムは承諾したが、自分がマネージしている別のグループ、プラターズThe Plattersも一緒にすることを条件とした。
プラターズは、キング・レコードでうまくいっていなかった。マーキュリーはリスクをとる価値があると考えた。ペンギンズは明らかにレコード購入者の欲しがるものを持っていて、プラターズは持っていない。しかしペンギンズを獲得するために必要なら契約しよう、と考えたのだ。もちろんペンギンズはその後ヒットらしきものを出せなかったが、ラムはプラターズにゾラ・テイラーZola Taylorという女性を加えた。
そして彼女は、足りなかったピースだった。プラターズは4月にシングルを出すことを許され、リード・シンガーのトニー・ウィリアムズTony Williamsは今までスタディオでは使ったことのない声を出し、他のメンバーはトニーを囲んで近づき、ハーモニーを付けた。そして「オンリー・ユーOnly You (And You Alone)」は、プラターズにとって初の複数チャートにまたがる45回転レコードになった。