スペシャルティに話を戻して、アート・ループArt Rupeは、ゴスペル以外すべて問題を抱えていた。
ループとジョニー・ビンセントJohnny Vincentとの関係はぎくしゃくしていて、結局ビンセントは、ミシシッピ州ジャクソンに本拠があるエース・レコードAce Records(櫛のブランド名にちなんで名付けた)で独立したが、ビンセントの関心は相変わらずニューオーリンズのタレントだった。
しかし、ループはニューオーリンズの地でどうしても誰かが必要だった。ループは、R&Bアーティストのメンバーを現代的なものにするために、野心的でシアトル出身の若い黒人少年、ロバート・バンプス・ブラックウェルRobert “Bumps” Blackwellを獲得した。
(ループはシアトルのジャズ・バンドで働いていたが、そこにはピアニストのレイ・チャールズRay Charlesと、若き日のトランペット奏者クインシー・ジョーンズQuincy Jonesがいた。)
ブラックウェルはミュージシャンと良好な関係にあり、一流の楽器奏者ではなかったが、アレンジがうまく、また、良いプロデューサーになるだろうとループは考えていた。ループはブラックウェルに、事務所に積み上げられたデモ・テープをコツコツ聴くようにさせたところ、2週目に、油の汚れのついた茶封筒に入って郵送されたテープを見つけた。ブラックウェルがレコーダーにテープをかけると声が聞こえた。「アート・ループさん、リトル・リチャード&ヒズ・アップセッターズLittle Richard and his Upsettersをお聞かせします。」
ブラックウェルは少し聴いて、送り主に郵送で戻すために、そのテープを荷物の山へ放り投げた。「そのテープをもう一度聞いた理由は、リチャードが何度も電話してきて、困らせたからだ。ほぼ一日おきに電話してきた。」とループは後に回想した。それには理由があった。リチャードは必至だったのだ。リチャードは、最終的にドン・ロビーのところから出したレコードが売れず、メイコン・バス駅で生活のために皿洗いをしていない時には、チットリン・サーキットthe chitlin’ circuit(公演会場の集合体)の最下級クラスで演奏していた。
我慢が限界に達したループはオーディション・スタディオまで下りて行き、二人で聞けるように、ブラックウェルにテープを探し出させた。「リチャードはBBキングのようには聞こえないけど、同じ感覚を持っていて、しかも、ゴスペル・サウンドともう少しエネルギッシュさがあれば面白くなり、契約できると判断した」。3月初めに、ループはリチャードのマネージャーに契約書を送り、アトランタでセッションを行なった。残念ながら、リチャードはまだロビーと契約していることが判明しため、その契約から彼を買い取る手配が整うまでセッションはキャンセルになった。しばらく時間がかかった。