ボーカル・グループはいたるところで誕生していた。アトランティックには、クローバーズThe Clovers(彼らの「ユア・キャッシュ・エイント・ナッシング・バット・トラッシュYour Cash Ain’t Nothin’ but Trash」 は、その年のヒットだった)、
ドリフターズThe Drifters(わいせつな音楽だと非難されたボーカル・グループの危機に対し、「サッチ・ア・ナイトSuch a Night」によって貢献した)、
そして、新たに設立されたキャットCatレーベルには、ナンセンス・シラブルがたっぷり入り上手にハーモナイズした「シュブームSh-Boom」のコーズThe Chordsがいた。
中西部で、キング・レコード傘下のフェデラル・レーベルには、ミッドナイターズだけでなく、カリスマ的なオーティス・ウィリアムズOtis Williams率いるシンシナティのグループ、チャームズThe Charmsがいて、「ハート・オブ・ストーンHeart of Stone」をチャートに送り出した。
さらにフェデラルは、自分たちの行動をよく理解していなかったと思えるロサンゼルス出身のグループ、プラターズThe Plattersと契約した。
シカゴでは、ビージェイVee-Jayという新レーベルが、ブルース・アーティストではチェス・レコードChess recordsとは競争しない(ビージェイのオフィスはしばらくの間、通りの真向かいに有った)という賢明な判断を下し、スパニエルズThe Spanielsという地元のグループで試してみた。スパニエルズの「グッドナイト・スウィートハート・グッドナイトGoodnite, Sweetheart, Goodnite」は、とてもスローなラスト・ダンスの曲で、グループとレーベルを有名にした。
地元のグループ、フラミンゴスThe Flamingosとも契約し、後に名曲を出すが、1954年にはまだ無かった。シカゴはゴスペル・ミュージックの中心だということを踏まえ、いくつかのアーティストとも契約したが、もっとも有名なのはロウバク・ポップス・ステイプルスRoebuck “Pops” Staplesが結成したファミリー・グループのステイプル・シンガーズThe Staple Singersだった。
ロウバクは、ゴスペルを始める前、チャーリー・パットンCharley Pattonを追いかける若いブルース・ミュージシャンの一人で、ステイプル・シンガーズのバックでただ一人エレキ・ギターを演奏していた。
深いエコーがかかり、奇妙なゆっくりした声のオスティナートを特徴としていて、家族の希望の歌にとって不吉な感じの演奏だった。