そして、もしサムの運命が変わったという証拠を示すのであれば、アイク・ターナーIke Turnerがその夏にタレントと一緒にサムのところに戻ってきたことだ。
ジョニー・オニールJohnny O’Neal、リトル・ミルトン・キャンベル”Little” Milton Campbell、アイクの妻でキングス・オブ・リズムThe Kings of Rhythmの最新メンバーのスター、ボニーBonnieである。
録音したテープは増えて行ったが全然発売しなかったのは、あまりに急いで拡大すべきでないことをおそらくサムが分かっていたし、サムとジャドにとって、既に発売したレコードの注文に応じ続けることで精いっぱいだった。
ボーカル・グループは1953年に全盛で、オリオールズThe Oriolesの「クライング・イン・ザ・チャペルCrying in the Chapel」は夏に大ヒットになった。
この曲はカントリーの曲で、ダーレル・グレンDarrell Glennとカウボーイ映画スターのレックス・アレンRex Allenが春にヒットさせたが、ソニー・ティル&ヒズ・グループにぴったり合っていたので、ポップスのトップテン近くまで上昇した。
ビリー・ウォード&ヒズ・ドミノーズBilly Ward and His Dominoesにとっても、クライド・マクファターClyde McPhatterのおかげで素晴らしい年になり、トップテンに入るヒット曲「アイド・ビー・サティスファイドI’d Be Satisfied」に続いて、今までで最も奇妙なレコードの一つ「ザ・ベルズThe Bells」を発表した。
マクファターはガールフレンドの葬式で教会の鐘が鳴るのを聞くとどんどん錯乱してきて、レコードの最後には悲しみで叫んでしまった。決して気楽に聴けるレコードではなかったが、R&Bチャートで3位になり、ドミノーズのライブのハイライトになった。もう一面の「ペダル・プッシン・パパPedal Pushin’ Papa」もヒットし、デイビッド・マクニールDavid McNeilがリード・ボーカルになったが、その後マクファターが「ディーズ・フーリッシュ・シングズThese Foolish Things(Remind Me of You)」でリード・ボーカルに戻った。