一方、ナッシュビルはハンク・ウィリアムズHank Williamsの新しいリアリズムを温かく受け入れていた。
1949年から事情は変わってきたのだが、この年、フロイド・ティルマンFloyd Tillmanの「スリッピング・アラウンドSlipping Around」が、マーガレット・ホイッティングMargaret Whitingとジミー・ウェークリーJimmy Wakelyのデュオと、アーネスト・タブErnest Tubbの2組によってレコーディングされ、両方のレコードともカントリー・チャートの第1位になった。
画期的なレコードは、ハンク・トンプソンHank Thompsonの1952年の大ヒット曲「ザ・ワイルド・サイド・オブ・ライフThe Wild Side of Life」で、バーでガールフレンドに振られたことを嘆く詩だが、その娘はドリンク一杯の金を払えばだれの恋人にもなるのだった。
すぐにキティ・ウェルスKitty Wellsが「イット・ワズント・ゴッド・フー・メイド・ホンキー・トンク・エンジェルIt Wasn’t God Who Made Honky Tonk Angels」というアンサー・ソングで、そうさせてしまうのは男の不品行のためなのに「女のせいにする」という考え方を非難した。
それからウェブ・ピアスWebb Pierceがやって来て、自分の「バック・ストリート・アフェアBack Street Affair」を語り、1953年終わりには、「ゼア・スタンズ・ザ・グラスThere Stands the Glass」で、自分の悲痛と悲惨を拭い去る酒を称賛し、「今日が初めてだ」と歌う。
ナッシュビルは殺伐としてきて浮気と酒を歌い、それがカントリーの主要テーマになったが、ブルースのアーティストたちは1920年代からそのことについて歌ってきた。しかし、そんなレコードをティーンエイジャーに売るつもりはなかった。