しかし、さすがに黒人の10代の少年グループならだれでもゴスペルを歌いたいわけではもちろんなく、グループで歌うことが楽しくてもゴスペルが楽しくないことはよくあり、RHハリス R.H. Harrisが言うまでもなく、ゴスペル演奏会の女性はほとんどが年上なのだ。
しかしゴスペル・グループが明確にしたことは商売のやり方で、必要なのはシンガーと、もしかすると、ピアノかギターだけで良い。そこで、1940年代後半になると、レイブンズThe Ravensを初めとする世俗的なボーカル・グループの結成が相次いだ。
若さ以外にレイブンズとミルス・ブラザースThe Mills Brothersとの間に大きな違いはなかったが、ニューヨークの有名なアポロ・シアターApollo Theaterのアマチュア・ショーの事件によって違いが出ることとなった。
バス・シンガーのジミー・リッキー・リックスJimmy “Ricky” Ricksがあまりの緊張で、グループの他のメンバーより早く歌い始め、他のメンバーが機転を利かせて、彼をリード・シンガーとしてバックで歌ったからだ。
レイブンズは、ハーブ・エイブラムソンHerb Abramsonとエンジニア(であり元マンハッタン・プロジェクトの天才で、コロンビア大学the Columbia Universityにおいて原子物理学を学んでいる間、原子爆弾のトップ・シークレットの仕事をしていた)のトム・ダウドTom Dowdが経営するニューヨークの小さな独立系レーベルであるナショナル・レコードNational Recordsに採用され、8枚のレコードを制作して、そのほとんどがR&Bチャートでヒットしたが、最もヒットしたのは12月の、「サイレント・ナイトSilent Night」と「ホワイト・クリスマスWhite Christmas」の両面クリスマス・ヒットで、
そのうちホワイト・クリスマスはスイングのアレンジで、後にビリー・ウォード&ヒズ・ドミノーズBilly Ward and His Dominoesと、ドリフターズThe Driftersがカバーした。