アレクサンダーズ・ピルグリム・トラベラーズJ.W. Alexander’s Pilgrim Travelers は、多くの経験豊かなゴスペル・グループと同様に、1920年代半ばから活躍していたシカゴを本拠地としたグループ、ソウル・スターラーズThe Soul Stirrersの後を追っていた。
1950年までに、彼らはショーマンシップをよく知っているRHハリス R.H. Harrisの指揮下に入り、ゴスペルのショーは競争が激しくなったので、ハリスはスペシャルティ・レコードSpecialty recordsで新しいスタイルを取り入れてレコーディングしていた。
(ハリスは、「ホワイ・ドゥ・ユー・ライク・ルーズベルトWhy Do You Like Roosevelt (Poor Man’s Friend)」や「ジーザス・ヒッツ・ライク・ジ・アトム・ボムJesus Hits Like the Atom Bomb」など社会的内容のある曲をこのグループにレコーディングさせた。)
1951年に、引き続き自分のグループに最高のシンガーを加えようとしていたハリスは、若くてハンサムなサム・クックSam Cookeという子をグループに採用し、ショーに顔を出す10代の少女が増えたことを快く思っていた。
実は、彼はこうなることを予見していたのだろうが、サムはかつてハイウェイQCというグループのリード・ボーカルを務めていて、彼らはまだ10代だったにもかかわらず、町で公演があると現れて競争相手を吹き飛ばす癖があった。
サムの後任は、シカゴの別の10代のルー・ロールズLou Rawlsだった。
ゴスペルの新しいサウンドが人気だったことは間違いなく、トランペッティアーズThe Trumpeteersというグループは、1949年にレース・チャートにおいて、「ミルキー・ホワイト・ウェイMilky White Way」で頑張って1位を獲得した。