デルモア・ブラザースは熟練の楽器奏者だったが、レコード制作ではジャンボリーのスター・ギタリストであるマール・トラビスMerle Travisの助けをずいぶんと借りていて、マール・トラビスやノベルティ曲をバンジョーで演奏するグランパ・ジョーンズGrandpa Jonesも所属していたゴスペル・グループ、ブラウンズ・フェリー・フォーThe Brown’s Ferry Fourにも参加した。
トラビスは近くの西ケンタッキー出身で、アーノルド・シュルツArnold Shultzという黒人ギタリストや、妻や二人の息子と一緒にラジオ番組を持っていて地元の有力なカントリー・ギタリスト、アイク・エバリーIke Everlyの影響を受けた。
トラビスの演奏スタイルなら親指でベース・ラインを弾いて、同時にメロディを高音弦で弾くことが可能なので、ギターによるブギウギへの挑戦は完全に成功し、1946年に演奏者としてロサンゼルスのキャピトル・レコードと契約を交わした。キャピトル・レコードやその他のウェスト・コーストのカントリー・レーベルにおいて、スタディオ・ミュージシャンとして仕事をし、また、キャピトル・レコードにおけるヒルビリー・ブギのトップ・アーティストであるテネシー・アーニー・フォードTennessee Ernie Fordのサウンドに欠かせない存在となった。
ヒルビリー・ブギをやっている人ならだれでもギターを演奏したわけではなく、ジェリー・リー・ルイスJerry Lee Lewisも影響を受けたと認める有名なスターは、テキサス州バーモント出身のオーブリー・ムーン・マリカンAubrey “Moon” Mullicanであり、そのレーベルはキング・レコードKing recordsであり、後年はスターデイ・レコードStarday recordsだったが、とても騒々しくて初期ロックンロールの資格十分だった。
なお、オーブリーの芸の人気が本当に出るのは40代に入ってからだった。