ジェームズNehemiah “Skip” Jamesは、パラマウントが1931年のレコードを宣伝せず、その年の遅くに入信したことによって、苦しい歌手人生だった。
スパイアH.C.Speirは、ウィリアムズ・パットンWilliams Pattonの友人でライバルでもあるサン・ハウスSon House、謎のキング・ソロモン・ヒルKing Solomon Hill、イシュマン・ブレーシーIshman Bracey、ジーチー・ワイリー&エルビー・トーマスGeechie Wiley and Elvie Thomasをパラマウントのスタディオに送り込んでレコーディングを行った。
ジーチーらが何者であるかは21世紀まで確認されることはなく、そのレコードは、意図したのとは全く異なる聴衆によって30年後に再発見された。このようなギターを用いたカントリー・ブルースは華々しく売れたわけではなかったが、トミー・ジョンソンTommy Johnsonやピアノとギターのデュオ、スクラッパー・ブラックウェル&リロイ・カーScrapper Blackwell and Leroy Carrは、レコード会社が投資して良かったと思ってもらい、パットンなどほかのアーティストは狭い地域ではライブ演奏で人気があってよく売れたので、更にセッションを催すために帰ってきてほしいという要望があった。
ホウカム・ブルースHokum Bluesやジャグ・バンドjug bandも良く売れ、ミシシッピ・シークスThe Mississippi Sheiks、メンフィス・ジャグ・バンドThe Memphis Jug Band、キャノンズ・ジャグ・ストンパーズThe Cannon’s Jug Stompersはそれなりに売れたが、住んでいたメンフィスで白人に人気があったのが一因だった。
要するにレコード会社は、録音して売れるかどうか確かめるという伝統を始めていたのである。