アート・ループArt Rupe(1917-現在)スペシャルティ・レコードSpecialty Recordsのオーナー、ペンシルバニア州ピッツバーグ
アート・ゴールドバーグArt Goldbergという名前で生まれたアート・ループは、少年時代、地元の黒人教会で音楽を聴いていた。いくつかの大学に通ったが、学位を取得することはなかった。第二次世界大戦中、カリフォルニア州ロサンゼルスの造船会社で働く。第二次世界大戦が終わる頃、エンターテイメント・ビジネスに参入したくて、ゴールドバーグからループに名前を変えた。
当時、レース(黒人)レコードを生産していた小さなレコード会社(アトラス・レコードAtlas Records)に飛び込み、この会社に投資して資金を失った。レコード・ビジネス、特にゴスペル・フィーリングを持つビッグバンド・サウンドに未来を感じた。アートはこのサウンドをロサンゼルス黒人居住区のバーやクラブで探した。
パートナーとともにレコード・レーベルを立ち上げるに十分なタレントを見つけたと感じ、レーベル名を「ジューク・ボックス・レコードJuke Box Records」とした。
1944年、アートは早々に退職し、自身のレコード・レーベル「スペシャルティ・レコードSpecialty Records」を立ち上げた。1947年、ゴスペル・ミュージックがとても好きで、スペシャリティ・レーベルのためにゴスペル・グループのメンバーを揃え始めた。あるグループはソウル・スターラーズThe Soul Stirrersと呼ばれ、サム・クックSam Cooke(サム・クックを参照)をリード・シンガーに迎えていた。
ループはリズム&ブルースも好きで、50年代初期にはリズム&ブルースの需要が高まっていたため(「レコード産業」の項を参照)、しばしばアメリカ中のリズム&ブルースのタレントを探しに旅に出た。
1952年のニューオーリンズへの旅で、「パーソナリティPersonality」のロイド・プライスLloyd Priceを紹介され、50年代半ばまでに、スペシャルティ・レコードには「トゥッティ・フルッティTutti Frutti」のリトル・リチャードLittle Richardや、「ショート・ファット・ファニ―Short Fat Fanny」のラリー・ウィリアムスLarry Williamsが所属した。
彼はドゥーワップ・グループのタレントを発掘することにはあまり興味がなかったようだ。アートはトニー・アレン&チャンプスTony Allen and The Champsの「ナイト・アウルNite Owl」をヒットさせた。