チェス・レコードChess Recordsのオーナー、レナードLeonard(1917-1969)とフィル・チェスPhil Chess(1921-現在)
ポーランドのモルタルで、レイゾル・シュムエル・チェズLejzor Shmuel Chez(レナード)とフィシェル・チェズFiszel Chez(フィル)として生まれたチェス兄弟は、1928年にポーランドからアメリカに移住した。一家は40年代にイリノイ州シカゴに定住し、シカゴの黒人居住区で酒屋と数軒の居酒屋を開いた。
1947年に最も人気を博した酒場は「マコンバMaccomba」と呼ばれ、エラ・フィッツジェラルドElla Fitzgeraldやビリー・エクスタインBilly Eckstineのような黒人エンターテイナーが出演していた。
フィル・チェスは、地域社会においいて黒人音楽が人気であること、この市場向けに音楽を制作するレコード会社がないことに気づいた。
兄弟は1947年、アリストクラット・レコードAristocrat Recordsという既存のレコード会社と思い切って提携した。このレコード会社は、ブルース、ジャズ、リズム&ブルースの録音を始めたばかりだった。
1949年末、彼らはアリストクラット・レコードの単独オーナーとなった。チェス兄弟のシカゴ周辺でのコネクションのおかげで、マディ・ウォーターズMuddy Watersはシカゴ・ブルースの父となった。
1950年、レーベルをアリストクラットからチェス・レコードに変更した。チェス・レコードは短期間のうちに、ニューヨークのアトランティック・レコードと肩を並べるリズム&ブルースのリーダーになった。
1952年、チェス・レコードの傘下にチェッカーというレーベルを立ち上げた。50年代半ばまでに、チェス・レコードは最高のブルース、リズム&ブルース、ドゥーワップ・ミュージックをリリースしていた。マディ・ウォーターズ、リトル・ウォルターLittle Walter、ハウリン・ウルフHowlin’ Wolf、ボ・ディドリーBo Diddley、チャック・ベリーChuck Berry、クラレンス・フロッグマン・ヘンリーClarence “Frogman” Henry、ムーングローズThe Moonglows、フラミンゴズThe Flamingos、デルズThe Dells、
エタ・ジェイムズEtta Jamesの「アット・ラスト!At Last! 」、
リー・アンドリューズ&ハーツLee Andrews and the Heartsの「ロング・ロンリー・ナイツLong Lonely Nights」
「ティアドロップスTeardrops」などのトップ・ヒット曲がチェス・レコードのドアから溢れ出た。
チェス兄弟は、50年代にサン・レコードと実りある関係を築き、大成功を収めた(サム・フィリップスを参照)。
チェス・レコードは、50年代から60年代にかけて、黒人音楽を録音する有力なレコード・レーベルのひとつとなった。2008年、チェス兄弟の物語は映画『キャデラック・レコードCadillac Records』で語られた。
チェス兄弟は、ロックンロールの誕生となるリズム&ブルースのレコード販売に成功した真のパイオニアだった。彼らはロックの殿堂入りしている。