ジョニー・バーネットJohnny Burnette(1934-1964)テネシー州メンフィス
ジョニーはメンフィス地区の公営住宅に住む家族に育った。この公営住宅にはエルビス・プレスリーも住んでいたが、噂に反して、二人は別の高校に通っていた。
ジョニーは典型的なティーンエイジャーで、高校ではさまざまなスポーツに打ち込んだ。彼と兄はアマチュア・ボクサーで、最終的にはゴールデン・グローブ・チャンピオンになった。プロ・ボクシングにも挑戦したが、1試合でやめた。ジョニーと兄のドーシーDorseyはソングライターの才能があり、職場や夜に曲を作り、メンフィス周辺のバーで演奏していた。
1952年、2人の兄たちとリズム・レンジャーズThe Rhythm Rangersというトリオ(ロカビリー・ミュージック)を結成した。
1956年までに、3人は音楽キャリアを充実させるためにニューヨークに移り住み、テレビ番組「テッド・マック・オリジナル・アマチュア・アワーTed Mack Original Amateur Hour」に出演するチャンスを得た。
決勝に3回進出し、コーラル・レコードCoral Recordsとレコード契約を結び、ジョニー・バーネット・トリオThe Johnny Burnette Trioと名乗った。
コーラルから3枚のロカビリー・レコードをリリースしたが、ビルボードのチャートインには至らなかった。
その後もコーラル・レコードでレコーディングを続けたが、ダメだった。
グループは1957年に解散。その年、ジョニーと兄はメンフィスに戻っていた。彼らはロカビリー・ミュージシャンとして活動を再開したが、ジョニーはいても立ってもいられなくなって、ソングライティングに挑戦するためにカリフォルニアに向かった。インペリアル・レコードImperial Recordsの新進ロカビリー・アーティストだったリッキー・ネルソンRicky Nelsonに自分の曲を渡すことができた。ネルソンはバーネットの曲に非常に感銘を受け、「ビリーブ・ホワット・ユー・セイBelieve What You Say」、「イッツ・レイトIt’s Late」、「ウェイティン・イン・スクールWaitin’ In School」などの曲をレコーディングした。
これらの曲はすべてネルソンのビルボード・ヒットとなり、それぞれ4位、9位、18位にチャートインした。
1958年、兄のドーシーがロサンゼルスで加わり、バーネット・ブラザーズThe Burnette Brothersとしてインペリアル・レコードで数枚のレコードを録音した。
彼らのレコードはビルボードにチャートインすることはできなかった。この時点で、ジョニーとドーシーは互いに独立して作曲と歌のキャリアを追求した。別々の道を歩む前に、兄弟は独立系の小さな異なるレコード会社から2枚のレコード(どちらもインストゥルメンタル)をリリースした。