オリオールズの次のヒットは1949年の「テル・ミー・ソーTell Me So」で、リズム&ブルース・チャートで1位を獲得したが、ポップ・チャートには入らなかった。彼らの最大のヒットは1953年に生まれる。
「涙のチャペルCrying in the Chapel」はリズム&ブルース・チャートで1位、ポップ・チャートで11位を記録し、ゴールド・レコードとなった。
このレコードはリズム&ブルース・チャートに11週ランクインした。同年、ジューン・バリJune Valliによるカバー・レコードが発売された。彼女のレコードはポップ・チャートで4位を記録した。リズム&ブルース専門の独立系レコード会社から利益をかすめ取ろうとして、メジャー・レコード会社がカバー・レコードに手を染めたもうひとつの例がある。エルビス・プレスリーElvis Presleyは1965年に「涙のチャペル」を再レコーディングし、ビルボードで3位を記録した。
1948年から1954年まで、オリオールズはジュビリー・レコードで120曲を録音した。50年代初頭、オリオールズはそれ以外にヒット・レコードは出なかったものの、ドゥーワップ・グループとして成功を収めた。オリオールズは黒人の聴衆、特に女性に人気があった。ソニーは女性たちを騒然とさせることができたので、彼のステージ・ショーで観客をコントロールするために警察を呼ばなければならないほどだった。
1951年、彼らはブロードウェイでカウント・ベイシーCount Basieと共演した。
ソニー・ティルとオリオールズは、50年代、60年代、70年代を通して、メンバーの入れ替わりを何度も経験した。1956年、ジュビリー・レコードでのレコーディングを止め、ビージェイ・レコードでレコーディングを行った。60年代には、オリオールズはチャーリー・パーカー・レコードCharlie Parker Recordsでレコーディングを行う。
ソニー・ティルとオリオールズは1977年までレコーディングを続けた。1981年、ソニー・ティルはひどい心臓発作を起こして亡くなった。1948年から1977年まで、彼らが何枚のレコードを録音したかは知る由もない。ソニー・ティルとオリオールズはロックンロールの誕生に重要な役割を果たし、グループ解散から40年後の1994年、ロックの殿堂入りを果たした。彼らはパレオ時代にレコーディングを行った。