ムーングローズThe Moonglows(1952-1958)ケンタッキー州ルイビル
ディージェイのアラン・フリードとのつながりでオハイオ州クリーブランドに移る前、彼らは最初クレイジー・サウンズThe Crazy Soundsと名乗っていた。アラン・フリードは彼らにムーングローズへの改名を提案し、各方面で彼らを宣伝した。
ボーナスとして、フリードは彼らの曲の共同作曲権を求めた。例えば、「シンシアリーSincerely」はハービー・フークワHarvey Fuquaが書いたが、レコードにはフリードが共作したと書いてある。
ムーングローズは1952年、フリードのレコード・レーベル、シャンパン・レコードChampagne Recordsから、「アイ・ジャスト・キャント・テル・ノー・ライI Just Can’t Tell No Lie」と「アイブ・ビーン・ユア・ドッグI’ve Been Your Dog」というタイトルのレコードを1枚リリースした。
1953年、彼らはビージェイ・レコードと契約。ドリス・デイDoris Dayの「シークレット・ラブSecret Love」をカバーして、リズム&ブルース・チャートでまあまあヒットし、1954年にチェス・レコードChess Recordsに移籍した。
彼らはリズム&ブルース・マーケットでレコーディングを行って、ビージェイ・レコードで5枚のレコードを録音し、成功を収めた。
チェス・レコードからの最初のリリースは、リード・シンガーのハービー・フークアが書いた「シンシアリーSincerely」だった。このレコードには、フークアとアラン・フリードの2人がソングライターとして名を連ねている。
フリードは、アーティストのレコードをプレイするという約束で、(印税のために)無理やりレコードの著作者として名を連ねる悪い癖があった。彼はチャック・ベリーChuck Berryの「メイベリーンMaybellene」でもう一回これをやることになる。
「シンシアリー」はムーングローズにとって大きな成功を収め、ビルボードで20位にチャートインした。しかし、黒人アーティストのレコードをカバーするためにコーラル・レコードCoral Recordsに特別に雇われたマクガイア・シスターズThe McGuire Sisters(白人女性グループ)にとっては、もっと大きな成功だった。
1955年、マクガイア・シスターズは「シンシアリー」をビルボード1位にした。