ルース・ブラウンRuth Brown(1928-2006)バージニア州ポーツマス
ルース・アルストン・ウェストンRuth Alston Westonは、1928年にバージニア州ポーツマスで生まれた。黒人だけの高校に通い、父親の教会の聖歌隊で歌った。ルースは17歳のときにバーやナイトクラブで歌うことにもっと興味を持ち、あるミュージシャンと駆け落ちして、その後1945年に彼と結婚した。ふたりはさまざまなバーやクラブで歌い、演奏しながら流浪した。
彼女は1948年にアトランティック・レコードでレコーディングを始めた。アトランティック・レコードは、同年スタートしたリズム&ブルース専門の独立系レコード・レーベルだが悪戦苦労していた。ルースはポップ・ミュージックを歌いたいと要求した。リズム&ブルースの曲を歌うなら、アトランティックと契約は破棄すると言われた。アトランティックは後に彼女を「アトランティックにおける最初の歌のファースト・レディ」「ルースが建てた家(アトランティック・レコード)」と呼ぶことになる。
彼女の歌はリズム&ブルース市場でヒットした。「ソー・ロングSo Long」 1949年、「ティア・ドロップス・フロム・マイ・アイズTear Drops From My Eyes」 1950年、「アイル・ウェイト・フォー・ユーI’ll Wait For You」 1951年、
「ママ・ヒー・トリーツ・ユア・ドーター・ミーンMama, He Treats Your Daughter Mean」1952年、「ワイルド・ワイルド・ヤング・メンWild, Wild Young Men」1953年、
「オー・ホワット・ア・ドリームOh What A Dream」 1954年、「ラッキー・リップスLucky Lips」 1957年。
ボビー・ダーリンが書いた曲、「ディス・リトル・ガールズ・ゴーン・ロッキンThis Little Girl’s Gone Rockin’」でポップ・チャート入り(チャート24位)を果たす。
ロックンロール誕生の時代にいくつか飛ばしたのはマイナー・ヒットだったが、彼女はロックンロール・ミュージックのパイオニアである。ロックの殿堂入りをしている。