スモーキー・ロビンソンSmokey Robinson(1940-現在)、ミシガン州デトロイト
スモーキーは1940年生まれで、ミシガン州デトロイトの犯罪の多い地域で育った。10代の頃、スモーキーはこの地域のさまざまなドゥーワップ・グループで歌った。1955年にファイブ・チャイムズThe Five Chimesで活動を始め(2枚のレコードを録音)、後に高校でマタドールズThe Matadorsという自身のドゥーワップ・グループを結成した。
彼らはソングライター兼プロデューサーのベリー・ゴーディBerry Gordyのオーディションを受け、エンド・レコードEnd Records、チェス・レコードChess Recordsと契約した。
エンド・レコードから出した最初のレコードは、スモーキーとベリーが書いた「ゴット・ア・ジョブGot A Job」(シルエッツThe Silhouettesの「ゲット・ア・ジョブGet A Job」のアンサー・ソング)で、名前をミラクルスThe Miraclesに変えた後だった。
グループのシンガーの一人が脱退し、ロビンソンは女性シンガーをグループに迎え入れた。クローデット・ロジャースClaudette Rogersは後に彼の妻となり、グループを去ることになる。
クローデットがグループに加わった後、彼らはミラクルズと改名した。「ゴット・ア・ジョブ」は、ミラクルズにとってマイナー・ヒットとなった。ミラクルズの次のレコードは、ロビンソンが書いた「バッド・ガールBad Girl」で、1959年にチェス・レコードChess Recordsからリリースされた。
ベリー・ゴーディは自身のレコード・レーベル、タムラTamlaとモータウンMotownを立ち上げた。ミラクルズは1960年に3枚目のレコードをレコーディングする。その曲はスモーキーとゴーディが書いた「ショップ・アラウンドShop Around」だった。
この曲はタムラ初のミリオンセラーとなり、ビルボードで1位を獲得した。スモーキー・ロビンソンはキャリア中にたくさん作ったソングライターだった。メリー・ウェルズMary Wellsのために「ユー・ビート・ミー・トゥ・ザ・パンチYou Beat Me To the Punch」(1962年)、「マイ・ガイMy Guy」(1964年)、「トゥー・ラバーズTwo Lovers」(1962年)、
「ザ・ワン・フー・リアリー・ラブズ・ユーThe One Who Really Loves You」(1962年)を、マーベレッツThe Marvelettesのために「ドント・メス・ウィズ・ビルDon’t Mess With Bill」(1966年)を書いた。
シュープリームスのために4曲を書いた。
スモーキー・ロビンソンは、そのキャリアを通して、さまざまなロックンロール・グループのためになんと4000もの曲を書いた。スモーキー・ロビンソンはロックの殿堂とソングライターの殿堂入りしている。彼はロックンロール誕生の終盤に大きな影響を与え、正しくロックンロール誕生の主要なシンガーでありソングライターであるにふさわしい。