1956年から1963年まで、ドミノはビルボードで9枚のレコードをトップ10にランクインさせた。その間にビルボードでトップ40にチャートインしたレコードは26枚。トップ10にランクインした9枚のレコードは、「再び恋してI’m in Love Again」3位(’56年)、「ブルーベリー・ヒルBlueberry Hill」2位(’56年)、「ブルー・マンデーBlue Monday 」5位(’57年)、
「アイム・ウォーキンI’m Walkin’」4位(’57)、「バレー・オブ・ティアーズValley of Tears」6位(’57)、「ホール・ロッタ・ラビングWhole Lotta Lovin’」6位(’58)、
「アイ・ウォント・トゥ・ウォーク・ユー・ホームI Want to Walk You Home」8位(’59)、「ビー・マイ・ゲストBe My Guest」8(’59)、「ウォーキング・トゥ・ニュー・オーリンズWalking to New Orleans」6位(’60)。
ドミノの音楽は白人のティーンエイジャーにとても人気があり、これらの暴動は、白人と黒人の若いティーンエイジャーがリズム&ブルースの音楽から(警察によって)隔離されることを拒否したことに過ぎない。ファッツ・ドミノは1950年から1965年の間にインペリアル・レコードから82枚のレコードをリリースした。同じ期間に45枚のアルバムをリリースしている。ビルボード・チャート(リズム&ブルースのビルボード・チャートとは異なる)で1位を獲得したヒットはない。「ブルーベリー・ヒル」が近かったが、チャートは2位止まりだった。ファッツはビルボードのトップ40に36曲チャートインした(2位から38位まで)。
1956年、ファッツは『スティーブ・アレン・ショーthe Steve Allen Shows』と『ペリー・コモ・ショーPerry Como Shows』に出演し、ディック・クラークDick Clarkの『アメリカン・アバンドスタンドAmerican Bandstand』にも数回出演した。
『シェイク・ラトル・アンド・ロールShake, Rattle, and Roll』、『ジャンボリーJamboree』、『ビッグビートThe Big Beat』、『女はそれを我慢できないThe Girl Can’t Help It』など数本のハリウッド映画に出演した。
ファッツ・ドミノは、ロックンロール・ミュージックの多作のソングライターであり、シンガーでもあった。ファッツ・ドミノはロックの殿堂、ソングライターの殿堂入りしている。彼はロックンロール誕生の重要な担い手である。