バート・バーンズBert Burns(1929-1967)ニューヨーク州ブロンクス
バート・バーンズはロシア系ユダヤ移民の子として生まれた。幼少時にリウマチ熱にかかり、その後の人生に大きな影響を与えた。音楽に関心を向け、近所のアフリカ系やラテン系の音楽に波長が合った。ダンスに目覚め、キューバにあるマンボのナイトクラブで踊るようになったが、キューバ革命の前に逃亡した。
アメリカに戻り、ニューヨークのソングライターとしてブリル・ビルとかかわりを持ち7年間続いた。バートのソングライターとしての最初のヒットは、1961年のドゥーワップ・グループ、ジャーメルズThe Jarmelsの「ア・リトル・ビット・オブ・ソープA Little Bit Of Soap」だった。
その1年後、アイズレー・ブラザーズThe Isley Brothersの大ヒット曲「ツイスト・アンド・シャウトTwist and Shout」を書いた。
彼の曲は、キャピトルCapitol、オールド・タウンOld Town、ローリーLaurie、ビッグ・トップBig Top、ユナイテッド・アーティスツUnited Artists、ワンドWand、MGM、ルーレットRoulette、アトランティック・レコードAtlantic Recordsなどいくつかのレコード・レーベルからリリースされた。1963年、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーはアトランティック・レコードのスタッフ・プロデューサーだった。その時、バート・バーンズが彼らに代わってアトランティック・レコードに入った。1965年、自身のレコード会社バング・レコードBang Recordsとシャウト・レコードShout Recordsを設立した。バートの作った曲には以下のものがある。ソロモン・バークSolomon Burkeの「クライ・ミーCry to Me」、エキサイターズThe Excitersの「テル・ヒムTell Him」、ドリフターズThe Driftersの「ワン・ウェイ・ラブOne Way Love」、
「アイ・ドント・ウォント・トゥ・ゴー・ウィズアウト・ユーI Don’t Want To Go Without You」、マッコイズThe McCoysの「ハング・オン・スルーピーHang on Sloopy」。
バートは38歳で亡くなった。2009年にはソングライターの殿堂入りにノミネートされた。