ジェリー・リーバーはポーランドからのユダヤ系移民の息子で、1933年に生まれ、ボルチモアの黒人ゲットーの端っこで育った。
マイク・ストーラーも1933年生まれで、ニューヨークのクイーンズで育ち、黒人だけのサマーキャンプでリズム&ブルースの基礎を学んだ。ふたりは50年代初頭にカリフォルニア州ロサンゼルスで偶然出会い、リーバーが亡くなるまでソングライティングのパートナーシップを続けた。リーバーは作詞家(ジャズの古典的訓練を受けた)であり、ストーラーはリズム&ブルースの曲を書いた。
彼らの最初のリズム&ブルース曲は、1950年に発表された「ザッツ・ホワット・ザ・グッド・ブック・セズThat’s What the Good Book Says」というノベルティ・ソングで、ロビンズThe Robinsという最も人気のあったロサンゼルスのドゥーワップ・グループと一緒に演奏した。
40年代後半に西海岸でレコーディングしていた大人気のドゥーワップ・グループである。1955年、ロビンズは人種差別主義者のジム・クロウJim Crow判事に翻弄される不幸な黒人を歌った「フレームドFramed」という曲を録音する。検事は被告にウィスキーをかけ、犯行時に酔っていたと主張する。
この曲はジェリー・リーバーとマイク・ストーラーによって書かれ、彼ら自身のレコード・レーベル、スパーク・レコードSpark Recordsから出して、リズム&ブルースの大ヒット曲となった。彼らはロビンズのほとんどの曲を書き、一緒に歌ったこともある。
1955年後半、アトランティック・レコードAtlantic Recordsはリーバーとストーラーにレコーディング契約のオファーを出したが、それはロビンズがロサンゼルスからニューヨーク市に移らなければならないことを意味する。ロビンズのメンバーの何人かはそれを拒否したので、ロビンズはドゥーワップ・グループとして別れた。ニューヨークでは、リーバーとストーラーがアトランティック・レコードのために新しいグループを結成した。新メンバーはカール・ガードナーCarl Gardnerとボビー・ナンBobby Nunn(旧ロビンズ)、レオン・ヒューズLeon Hughesとビリー・ガイBilly Guyで、今度は「コースターズThe Coasters」となった。
ロサンゼルスを離れる前に、2人はロビンズのレコード・レーベル、スパークス・レコードのためにドゥーワップのヒット曲を何曲か書いた。「フレームドFramed」と「スモーキー・ジョーズ・カフェSmokey Joe’s Café」(ロビンズのために書いた最後の曲)の2曲はリズム&ブルースの大ヒット曲となった。