LET THE GOOD TIMES ROLL
第1章
第二次世界大戦後からロックンロール誕生までの音楽
50年代初頭には、アメリカのラジオ局の25%が週に数時間、リズム&ブルースを流していた。ポップスとカントリー・ミュージックがまだ放送時間の大部分を占めていたが、ロックンロールの誕生はすぐそこまで来ていた。
第二次世界大戦後、ビッグ・バンド・サウンドは終焉を迎えた。ビッグ・バンド・サウンドの時代は、ラジオ業界の大きな変化と、アメリカ全土に生放送のダンス・ミュージックを提供するための経費のために、12年しか続かなかった。アメリカ中のラジオ局が、ラジオの生演奏にかかる費用よりも、レコードをかけるディージェイを雇った方がずっと安上がりだと気づいた。
かつてラジオは常に生放送だった。ラジオ局はディージェイではなくアナウンサーを雇い、ラジオで商品の宣伝や人気アーティストの紹介をしていた。毎晩、ジュディ・ガーランドJudy Garlandなどの歌手がラジオから生演奏で歌うのを聴くことができた。
トミー・ドーシー楽団The Tommy Dorseyの生演奏を、アメリカの小さな町のダンスホールで直接ラジオ番組から聴くこともできた。
ビッグ・バンド・サウンドがラジオ広告スポンサーからの収入に頼れなくなったとき、この流行は終わった。さらに、バンド・メンバーの移動費(ガソリン代)、宿泊費、食費がかさみ、ビッグ・バンド・サウンドは存続できなくなった。レコードだけではビッグ・バンド・サウンドは成り立たず、40年代後半にはビッグ・バンド・サウンドの時代は終わった。
この結果、いわゆるクルーナーと呼ばれるアーティストたちが、ソロ・レコーディングのキャリアを始める道が開かれた。50年代初頭には、フランク・シナトラFrank Sinatra、エド・エイムズEd Ames、ビング・クロスビーBing Crosbyといったアーティストがレコーディング・キャリアを成功させ始めた。
50年代初頭は「ポップ・ミュージックの時代」と呼ばれるようになる。パティ・ペイジPatti Pageの「ワン・ワン・ワルツHow Much Is That Doggie In the Window」、エディ・フィッシャーEddie Fisherの「オー・マイ・パパOh My Papa」、ローズマリー・クルーニーRosemary Clooneyの「カム・オン・ア・マイ・ハウスCome On A My House」といった曲は、50年代前半のラジオを席巻した。
さらに、これらのポップ・アーティストは、レコードの売り上げとともに、ライブ演奏やテレビ演奏でも成功を収めた。