2-14.アイム・ソー・ハッピーI’m So Happy(Tra-la-la-la-la-la)-ルイス・ライモンLewis Lymon & The Teenchords(ボビー・ロビンソンBobby Robinson)
56年12月フュアリーFuryのシングルとして発売
フランキー・ライモンFrankie Lymonの弟が、1956年秋にハーレムにあるボビー・ロビンソンBobby Robinsonのレコード店に自分が作ったグループと一緒にふらっと入った時、ロビンソンは何をすべきかが分かった――彼らと契約したのだ!ライモンの家族は全員が音楽一家で、パパ・ライモンはハーレメアーズThe Harlemairesという黒人霊歌のグループの一員で、ルイス、フランキー、兄のハウイーHowieは、ハーレメアーズ・ジュニアズThe Harlemaires Juniorsとして歌っていた。
ロビンソンは弟ライモンのグループにティーン・コーズThe Teen Chordsというぴったりの名前を付け、特にそのグループのために「アイム・ソー・ハッピー」を書き、かつてのパートナーだったジュビリー・レーベルJubilee Labelのオーナーのジェリー・ブレインJerry Blaine(この曲は元々は、ブレアーと共同所有している、ロビンソンのファーリン・ディスクWhirlin’ Discレーベルから出す予定だった)の手が届かないようにするために新レーベルのフュアリーFuryを立ち上げた。
この曲は最初から、フランキー・ライモンの弟の曲であるとして宣伝され、素人っぽい魅力と元気いっぱいであるために、イーストコーストではヒットしたが、当時は全国の記録がなかった。数年後に、デュケインズThe Ducanesというニュージャージーのグループが、フィル・スペクターPhil Spectorが監督してレコーディングし、1961年半ばに誰あろうジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerのゴールディスク・レーベルGoldisc labelから出したが、トップ100に惜しくも入らなかった。
ティーンコーズは、今日でも人気のあるアップテンポのシングルをロビンソンで数曲(「ハニー・ハニーHoney Honey」、「リディアLydia」、「ノット・トゥー・ヤング・トゥ・フォール・イン・ラブNot Too Young To Fall In Love」)録音し、その後ジョージ・ゴールドナーの会社に加わって、人気を博した「ユア・ラスト・ラブYour Last Love」を録音し、「ホワイ・ドゥ・フールズ・フォール・イン・ラブ」のアンサー・レコードの「アイ・ファンド・アウト・ホワイI Found Out Why」を出したがうまく行かなかった。
このグループはニューヨーク・エリアで、数多くステージの出演し人気のあるアトラクションだったが、ティーネージャーズのような成功はできなかった。弟ライモンの甲高い声は、成長に当然伴う変声期を経て、1958年にグループ解散となった。
ルイス・ライモンは、当時、有名なお兄さんと特に仲良かったわけではないが、現代版のティーネージャーズと一緒に現在も歌っている。伝えられるところによれば、本を書いたが、この原稿を書いている時点では発刊されていない。