1957年冬――デル・バイキングスThe Dell Vinkingsは人種差別をしないボーカル・グループで、「カム・ゴー・ウィズ・ミーCome Go With Me」が成功した時、ポップスをヒットさせた、その類の最初のグループになった。
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1957年春――ジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerは自分で設立を手助けしたルーレット・レコード・グループthe Roulette Records groupと別れ、自身の二つの新レーベルのゴーンGoneとエンドEndを作った。

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1958年に1回だけインストゥルメンタルのヒット曲があったが、それ以外は彼のキャリアにおいて、ボーカル・グループのレコードだけで次々とヒットを出し続けた。
1957年夏――当時のポップ・ヒットに合わせて踊るティーネージャーを特色とするテレビ音楽番組のアメリカン・バンドスタンドAmerican Bandstandが、フィラデルフィアの地方番組で多年にわたって放送した後、ディック・クラークDick Clarkがエムシーを務めて全国デビューした。


翌年からの6年間、数えきれないほどのドゥーワップ・グループを紹介する場としての役割を果たした。
1957年秋――ボベッツとシャンテルズは最初の女性ドゥーワップグループとなり「ミスター・リーMr. Lee」と「メイビーMaybe」を全国ヒットさせた。
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1958年――スペシャルティSpecialty、モダーンModern、アラディンAladdinなど、かつて成功した数多くの独立系R&Bレーベルが衰退し始めた。


1958年春――ディオンとベルモンツDion & The Belmontsが、ドゥーワップ・サウンドであるシングルの「アイ・ワンダー・ホワイI Wonder Why」がヒットし、ポップのトップ・フォーティーに入った最初の白人グループとなった。

1958年夏――インプレッションズThe Impressions、ファルコンズThe Falcons、フィエスタThe Fiestasなどのグループが、もっとゴスペル指向のサウンドを目指し始め、やがて『ソウル・ミュージック』と呼ばれるようになった。



1959年――アービング・スリム・ローズIrving “Slim” Roseが、廃盤になった45回転レコードを、地下鉄のアーケードの小さな『店』で売り始め、ニューヨーク中の懐古趣味の子供たちが、足しげく通い始めて古いボーカル・グループのレコードを買って、ロックンロール・コレクターの現象が始まった。
