1951年――R&Bチャートは多くの新規ボーカル・グループにも門戸が開放され、今や大御所となったレイブンズThe RavenseやオリオールズThe Oriolesと並んで、
フォー・バディーズThe Four Buddies、スワローズthe Swallows、
ラークスThe Larks、カーディナルスThe Cardinals、メロー・ムーズThe Mello-Moodsによるヒット曲もリストに載った。
1951年春――クリーブランドのDJのアラン・フリードAlan Freedが、自分のラジオ番組でリズム&ブルースをかけ始め、『ヒットメーカー』の評判を築き始めた。
結局1954年にニューヨークに移って『ロックンロール』という言葉を作り、『新しい』音楽の先頭に立って、ついにおそらくすべての中で最も有名なDJになった。52年秋、最初のムーングロウズMoonglowsを録音し自身のシャンパーニュChampagneレーベルからリリースした。
1951年春――黒人(R&B)チャートにおけるクローバーズThe Cloversの優勢な期間は初のナンバーワン・ヒットの「ドンチュー・ノウ・アイ・ラブ・ユーDon’t You Know I Love You」で始まった。
この曲は創業間もないアトランティック・レーベルAtlantic labelにとって最初のボーカル・グループでもあり、このグループは、ルース・ブラウンRuth Brownやジョー・ターナーJoe Turnerと言ったシンガーとともに、この企業の初期を支えた。
実は同時にドミノーズThe Dominoesがポップ(白人)のトップ20に入り込んだが、R&Bボーカル・グループとしては初めてで「シックスティ・ミニッツ・マンSixty Minute Man」といういささかいかがわしい曲だった。
1951年夏――ファイブ・キーズThe Five Keysが「ザ・グローリー・オブ・ラブThe Glory Of Love」のクラシック・バージョンでR&Bチャートのトップになった。
このグループは、数年後にキャピトル・レーベルCapitol recordsでもっとスタイリッシュなサウンドで重要なポップヒットを出すが、1951-53年にアラディン・レコードAladdin recordsで特に素晴らしいレコードを出し、原盤はレコード・コレクターの中で特に珍重されている。
1951年秋――ボビー・ロビンソンBobby Robinsonは、最初のR&Bレーベルであるロビン・レコーズRobin Records(直後にレッド・ロビンRed Robinに変更)をスタートさせ、ハーレム・グループのメロー・ムーズThe Mello-Moodsによる「フェア―・アー・ユーWhere Are You」をリリースした。
様々なレーベル、特にファーリン・ディスクWhirlin’ Disc、フュアリーFury、ファイアーFire、エバーラストEverlast、ホリデーHolidayと一緒に、彼と彼の兄弟のダニーDannyは50年代を通して多くの古典的ドゥーワップ・レコードを発売した。