まるで保守派が変化させられるようなものだった。リトル・リチャードLittle Richardはまだ神学校にいて、ジェリー・リー・ルイスJerry Lee Lewisは未だ煉獄にいて(4月にレイ・チャールズRay Charlesの「ホワッド・アイ・セイWhat’d I Say」が少しヒットしたが)、カール・パーキンスCarl Perkinsはジョニー・キャッシュJohnny Cashの前座をして、そしてエルビスは・・・そう、エルビスはまだレコードを制作していて、身を沈める前に数週間トップ・テンに何とか入り込もうとしていた。
エルビスは、1960年の2本の映画「フレイミング・スターFlaming Star」と「フルー・ハワイBlue Hawaii」用のサウンド・トラックのアルバムも作っていた。
ブルー・ハワイには、中ヒットの「ロカフラ・ベイビーRock-A-Hula Baby」だけでなく、エルビス・バージョンの「アロハ・オエAloha Oe」、「ハワイアン・ウェディング・ソングHawaiian Wedding Song」、そして「クウイポKu-U-Ipo」、「スライシン・サンドSlicin’ Sand」「アイトゥ・イーツIto Eats」、そして公平のために言うと、すぐに彼の最高のバラード作品となった「愛さずにはいられないCan’t Heop Falling in Love」などの素敵な曲も入っていた。
ロックンロールは供給不足で、リッキー・ネルソンRicky Nelson(だんだん良くなってきて、4月、5月には「トラベリン・マンTravelin’ Man」、B面「へロー・メリー・ルーHellow, Mary Lou」がラジオから盛んに流れた。)とエバリー・ブラザースEverly Brothersが昔からのキャリアを維持していた。
新種のクルーナーたちは全く薄気味が悪くて、3月にロイ・オービソンRoy Orbisonが、恐ろしい偏執症的な歌詞でオペラのようなボレロ「ラニング・スケアードRunning Scared」を、デル・シャノンDel Shannon(本名チャールズ・ウェストオーバーCharles Westover)はこの年の初めに二曲のヒット、猛スピードで1位になった「悲しき街角Runaway」と「ハッツ・オフ・トゥ・ラリーHats Off to Larry」を出した。
まだボーカル・グループがたくさん活躍していてが、ヒット曲を作るグループは、リトル・シーザーとローマンズLittle Caesar and the Romansの「ゾーズ・オールディーズ・バット・グッディーズThose Oldies but Goodies」、マーセルズThe Marcelsの古典「ブルー・ムーンBlue Moon」の奇妙なリメイク、
エドセルズthe Edselsの「ラマ・ラマ・ディング・ドングRama Lama Ding Dong」、そこから生まれたバリー・マンBarry Mannのアンサー・レコード「シビれさせたのは誰Who Put the Bomp」などのノベルティ・レコードを作る傾向があった。
シカゴのグループのバイブレーションズthe Vibrationsは、「ワツシWatusi」の後の曲、同様にアフリカをテーマにした「ストランデッド・イン・ザ・ジャングルStranded in the Jungle」に貢献したが、ワツシは種族とは関係がなくダンスだった。
ダンスが続いているように思え、チャビー・チェッカーChubby Checkerはこの年の初め、「イッツ・ポニー・タイムIt’s Pony Time」を発表し、再びヒットしたので、ダンスは引き続きヒットしているようだ。