大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝 パート4 第4夜
2013年8月16日放送
(放送内容)
大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝 パート4 第4夜の本日は、ニューヨークのコーラス・シーンのその後です。
R&Bグループ中心だったのが、50年代中期、ニール・セダカやポール・アンカがドゥーワップ調の曲を作り、そしてディオンとベルモンツの登場で、本格的なホワイト・ドゥーワップの時代がやって来ます。
そこへ色々な要素が流れ込んで60年代ポップスの時代となるのですが、本日は57年から、59年までの曲を続けてジャンジャン聞いて行こうという趣向であります。まずは、ディオンとベルモンツから。」
I Wonder Why/ Dion & The Belmonts
ブロンクス・ベルモント通りをねじろにしていたディオン・ディムーチ、同じくブロンクス出身のボビー・ダーリンは既にこの番組で紹介済みですが、ヒット・チャートの登場した順番はディオンの方が先なんですね。
このアイ・ワンダー・ホワイが登場したのは58年5月19日、ボビー・ダーリンのスプリッシュ・スプラッシュは6月28日でした。
ただ、ボビー・ダーリンは56年デビューで2年間ヒットなし、ディオンは57年デビューで1年間ヒットがありませんでした。このアイ・ワンダー・ホワイは22位のヒット曲でしたが、1か月とは言え、ボビー・ダーリンより先に、ディオンの方が音楽ファンに知られていたわけです。さらに、ニール・セダカがチャートに登場するのは、この年の暮れですから、ニューヨークの音楽ファンにとってディオンの登場は鮮烈なものがありました。ニューヨークのエルビスと例えるくらいです。さて、まずは、ホワイト・ドゥーワップを続けて聞いてみましょう。同じく、ブロンクス出身のメロー・キングス、彼らは、ディオンとベルモンツよりも1年前にヒットを飛ばしておりました。
Tonight Tonight / The Mellow Kings
メロー・キングスでトゥナイト・トゥナイトでした。77位ですがチャート・インした曲です。このレコードが発売されたレーベルはヘラルド、既に、フェイ・アダムスFAYE ADAMSとか、ターバンズThe Turbansのヒットを出していた会社ですが、徐々にホワイト・グループも手掛けるようになっていたわけです。
続いては、ブルックリンのディ・インパラスのソーリー。
Sorry(I Ran All The Way Home) / The Impalas
インパラスの、ソーリー、アイ・ラナ・ザー・ホームでした。アッアーというのは良かったですけどね。59年R&B14位、ポップでは2位という大ヒットでした。このインパラスは、リード・ボーカルが黒人で、他のメンバーは全員白人という混交グループです。もう58、9年になりますと、他にも続々と、こういう混交グループが登場してきて、さほど珍しくはなくなってきました。厳密には、このグループは、ホワイト・ドゥーワップには入れられないのかも知れませんが、サウンドはこの当時のホワイト・ドゥーワップ・サウンドなので、ここで、取り上げました。
続いては、映画アメリカン・グラフィティAmerican Graffitiの、メルズ・ドライブインMel’s Drive-inで、非常に印象的に使われていた、この曲です。
16 Candles/The Crests
シックスティーン・キャンドル、ザ・クレスツでした。リード・ボーカルはマンハッタン出身のジョニー・マエストロ。
このグループは、白人二人、黒人二人ですから、インパラスより分類は難しいのですが、しかし、まあ、人種云々というのは、社会での実態は別にしまして、音楽、特に、コーラス・グループというジャンルでは、どうでもよくなっているんですね。問題はサウンド・そのもので、50年代前半のR&B色が強いものから、徐々にポップス色が強くなっていくのが、58年、59年の傾向でした。シックスティーン・キャンドルズは、この時代の代表曲と言って良いでしょうね。チャートはポップ2位、R&B4位でした。ちなみに、シックスティーン・キャンドルズのセールス担当は、後にハーブ・アルパートと共同でA&Mレコードを作った、ジェリー・モスJerry Mossです。
次もホワイト・ドゥーワップの典型という曲ですね。ディオン・ベルモンツ、エビリ・リトル・シングです。
Every Little Thing / Dion & The Belmonts
エビリ・リトル・シング、59年、チャートは48位と振るいませんでしたが、ディオン・アンド・ベルモンツのレパートリーの中では、非常に人気の高い曲です。続いてはブルックリンの西、スタテン・アイランド出身の、ディ・エレガンツ。
Little Star / The Elegants
リトル・スター、エレガンツでした。これまた、ホワイト・ドゥーワップの典型サウンドですね。この曲、なんとポップでもR&Bでも、ナンバー・ワンに輝いた、超ビッグ・ヒットでした。ただ、チャート・インされたのは、この1曲だけなんですね。ナンバー・ワン楽曲があるのに、他の曲は100位にも全くチャート・インしなかったという、良く、ワンヒット・ワンダーという言葉が使われますが、どうして大ヒットがあるのに、たった1曲だけなのだろうかというのが、ワン・ヒット・ワンダーですけれども、まあ、素人が作ってるんですね。大抵、この手の曲っていうのは、メンバーの誰かが作っています。ですから、ビギナーズ・ラックといいますが、1曲は良いですね。これがまた、ポップスの面白いところで、難しいところでもあります。続きましては、リトル・スターを意識して書かれた曲。これまた、ブルックリン・出身のザ・ミスティックス。
Hushabye / The Mystics
ミスティックスで、ハッシャバイでした。ミスティックスも、エレガンツ同様、ワンヒット・ワンダーのグループでした。チャートは、ポップ20位とリトル・スターほどの大ヒットではありませんでしたが、後にたくさんカバーされる人気曲となりました。続いても、またまたブルックリン出身のパッションズ。
Just To Be With You / The Passions
59年、ポップ59位の、ザ・パッションズ、ジャスト・ビー・ウィズ・ユーでした。この曲、ジャスト・ビー・ウィズ・ユーですけども、これはパッションズ用に書かれた曲なんですが、彼らがレコーディングする前に、別のグループが、デモ・レコードを作っておりました。そのグループは、カズンズ。
Just To Be With You (demo) / The Cousins
<Demoがないので代わりにThe Cousinsの曲を>
She’s Not Coming Home-Excellents-’63-unreleased demo( On Cousins)
このグループ、ギターとリード・ボーカルはポール・サイモン(Paul Simon at Les Cousins )、ピアノとバック・コーラスがキャロル・キングCarole Kingなんですね。
ゲリー・ゴフィンGerry Goffinも手伝っていたとも言われています。
ポール・サイモンはクイーンズ育ちで、ハイ・スクールで、クイーンズ生まれのアート・ガーファンクルで出会って、トム・アンド・ジェリーというグループを組んでしました。
Hey Schoolgirl /Tom & Jerry
58年リリースのヘイ・スクールガール、49位にランクしていたんですね。ま、ニューヨークのエバリーEverly Brothersというところですけれども、この後はヒットが続きませんでした。このまま終わっていれば、トム・アンド・ジェリーはワン・ヒット・ワンダーだったわけですが、その後二人は別々の大学に行くことになって、ポール・サイモンはクイーンズ・カレッジに進みます。そこで、キャロル・キングとゲリー・ゴフィンと知り合いました。キングとゴフィンもクイーンズカレッジQueens College of the City University of New Yorkで知り合って、結婚したんですね。
キャロル・キングは昼まで、ゲリー・ゴフィンが夜間部という、ちょっと日活映画の青春ものみたいですけども、学生結婚でした。
ジャスト・ビー・ウィズ・ユーのパッションズとハッシャバイのミスティックスのマネージャーが同じということで、ポール・サイモンはミスティックスにも時々参加していました。では、ミスティックスで、ポール・サイモンがリード・ボーカルをとっていた曲を聞いてみましょう。レット・ミー・スティール・ユア・ハート・アウェイ。
Let Me Steel Your Heart Away / The Mystics
ミスティックスで、レット・ミー・スティール・ユア・ハート・アウェイでした。ソロの部分、確かにポール・サイモンだと分かりますね。先ほどのキャロル・キングもそうでしたが、どんな歌でも特徴のある声というのは、分かるもんですね。58年、59年にかけて、ニューヨークではいよいよ次世代のポップソングを作り出す有能なアーティストが動き始めていたということですね。さて、ホワイト・ドゥーワップというジャンルを考えてみますと、シュ・ブームSh-Boomをカバーしたクリュー・カッツThe Crew-Cutsや、リトル・ダーリンLittle Darlingをカバーしたザ・ダイヤモンズThe Diamondsも、白人グループという意味では、その範疇ですが、彼らは当初カバーソングばっかりだったんですね。
しかし、50年代も後半になりますと、オリジナルを作るようになります。ザ・ダイヤモンズもストロールに続いて、オリジナルを発表しました。
She Say(Oom Dooby Doom)/ The Diamods
ウンドゥビ・ウンドゥビ・ウンドゥビという、あのお囃子言葉をうまく使った59年ポップ18位のシー・セイ・ウンドゥビドゥでした。B面としてリリースされたんですが、こちらの方がヒットしました。作曲はブルックリン生まれのバリー・マン、作家としては2曲目のヒットですが、初のトップ20入りとなった曲です。ニール・セダカ、キャロル・キング、バリー・マンBarry Mann、そしてまだ出てきませんが、エリー・グリニッジEleanor Louise “Ellie” Greenwich、全員がブルックリン育ちだったんですね。
そして彼らが中心となって作られたのが、60年代ポップスだったわけです。次のブルックリンのグループ、ザ・インパクツは、白人1人黒人3人、女性1費という混交グループでした。
Now is The Time/The Impacts
ナウ・イズ・ザ・タイム、ザ・インパクツでした。ジャミ―・クーJamie Coeの「燃ゆる想い」I’ll Go On Loving Youを思い起こさせますけどね、発売は同じ59年。
インパクツの方が、やや早くリリースされているようです。これも、ドゥーワップというよりは、もうポップソングですね。もう60年代がそこまで来ているという感じがするサウンドです。この辺でニューヨーク以外のグループも取り上げてみましょう。ピッツバーグ出身の、ザ・スカイライナーズ。
Since I Don’t Have You / The Skyliners
ザ・スカイライナーズで、シンス・アイ・ドント・ハブ・ユー、ポップ12位、R&B3位のヒットでしたが、別のチャート誌では、ナンバー・ワンになっていました。次は、イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイトIn the Still of the Nightのヒットでおなじみのファイブ・サテンズの故郷、コネティカット州ニューヘイブンのさらに北の方にある、ハート・フォード市出身のグループで、ディ・エンバーズ。
Darkness / The Embers
エンバースのダークネスでした。これは58年頃に録音されたデモなんですが、歌い方で分かった方も多いと思いますが、ジーン・ピットニーGene Pitneyなんですね。クライド・マクファターClyde McPhatterが大好きだったということで、確かに影響が感じられます。ジーン・ピットニーはこの後、ジェイミー・アンド・ジェインという男女デュオを組んでレコードを出します。
Strolling / Jamie & Jane
59年に発売された、ジェイミー・アンド・ジェインで、ストローリングでした。これはB面でしたが、ジーン・ピットニーの相手の女性歌手は、後にダム・ヘッドのヒットを出したジニー・アーネルでした。
Dumb Head / Ginny Arnell
んー、ダム・ヘッド、確かにこのジニー・アーネルの歌い方は、どこかにジーン・ピットニーの歌唱法と似たものがありますね。この後、ピットニーはビリー・ブライアンという名前でもシングルを出しています。
Cradle Of My Arms / Billy Bryan
59年11月にリリースされました、クレイドル・オブ・マイ・アームズ、これもB面でしたが、作曲はオーティス・ブラックウェルOtis Blackwellでした。
もうピットニー・カラーが出来上がっていますが、チャートに登場するのは、この後なんですね。このように58年、59年には、60年代ポップスを作るアーティストが、各地に続々と登場し始めておりました。では、この辺でR&Bグループも聞いてみましょう。50年代中期には、男女デュオも盛んになって来ました。最初の成功例といわれているのが、ミッキー・アンド・スィリビア。
Love is Strange / Mickey & Sylvia
56年リリースのラーブ・イズ・ア・ストレンジ、R&B1位、ポップでも11位という大ヒットでした。このミッキー・アンド・スィルビアは二人ともギターを持っているというユニークなスタイルで、男性のミッキー・ベイカーMickey Bakerは、スタジオ・ミュージシャンとしても数多くのセッションに参加しています。ボ・ディドリーBo Diddleyと並べられて、いろいろと語られる人の多い人です。
スィルビアはニューヨーク出身、このデュエット・スタイルはすぐに、ラディダLa Dee Dahのビリー・アンド・リリーBilly & Lillieに持っていかれましたけれどね。
続いての男女デュオはブロンクス出身のジョニー・エンド・ジョー。
Over The Mountain / Johnnie & Joe
ジョニー・エンド・ジョーのオーバー・ザ・マウンテンは、57年、R&B3位、ポップでも8位の大ヒットでした。ブロンクス出身で女性が入っているグループとしては、ロンリー・ナイツを歌った、ザ・ハーツがおりました。男女混淆グループ、男女デュオ、これからますます増えていきます。ロンリー・ナイツといいますと、このグループの、このヒットを忘れるわけにはいきませんね。
Long Lonely Night / Lee Andrew & The Hearts
フィラデルフィアで結成されましたグループ、リー・アンドリュー・アンド・ザ・ハーツのロング・ロンリー・ナイトでした。
さて、リー・アンドリュースに続いて、ニュージャージーはニュー・アーク出身のザ・コダックス。
Oh Gee, Oh Gosh /The Kodaks
57年に発表された、オー・ジー・オー・ゴーシュですが、これ、まったくフランキー・ライモン・スタイルですね。ニュー・ジャージ―出身のミュージシャンはニュー・アークが多いですね。コニー・フランシスもそうでした。
そして、次のモノトーンズもニュー・アークの出身でした。
Book Of Love/ The Monotones
58年、R&B3位、ポップでも5位の大ヒットだったんです。ブック・オブ・ラブ、ザ・モノトーンズですが、彼らもワン・ヒット・ワンダーでした。このバス・ドラムはマレットでたたいてますね。次は、ロング・アイランドのロング・ビーチから登場してきた、ザ・ジェニーズで、フーズ・ザット・ノッキング。
Who’s That Knockmg The Genies
これも59年、ザ・ジェニーズで、フーズ・ザット・ノッキング、R&Bグループですが、チャートはポップだけで71位にランクされました。このタイプのサウンドが60年代ポップスでは主流となって行きます。次はブロンクスのグループで、ザ・エタ―ナルス。
Rockin’ In The Jungle /The Eternals
このアー・ハーていう奇声なんですけども、私には安田大サーカスのクロちゃんに聞こえて仕方ないんですけどね。
59年、ザ・エタ―ナルスのロッキン・イン・ザ・ジャングル、キャデッツのストランデッド・イン・ザ・ジャングルからヒントを得たのでしょう。
これもR&Bジャンルとは言え、チャートはポップだけで、78位でした。こっからは、ファルセット・ボイスのコーナーです。56年のニューヨークのグループ、ザ・プリテンダーズから始めましょう。
Jimmy Jones And The Pretenders – Lover
ファルセットが得意なこのリード・ボーカリストは、テカテカテカのジミー・ジョーンズです。彼は55年頃から活動をしていて、いろいろなグループ名でたくさんのレコードを出していました。さて、ファルセット言えば、このグループを外すわけにはいきません。
You’re The Apple Of My Eyes / The Four Lovers
56年、ポップ62位にランクされていたニュージャージー出身のフォー・ラバーズでした。もう一組、ファルセットをフィーチャーしたグループ。
Peanuts / Little Joe & The Thrillers
フィラデルフィアの、リトル・ジョー・エンド・ザ・スリラーズ、このピーナッツで57年、ポップ22位にランクされていました。続いては、ファルセットではありませんが、ニュー・ジャージ―出身のロイヤルティーンズ、この曲は日本で非常に有名です。
Short Shorts / The Royal Teens
ノベルティー・ソングのショート・ショーツは、ポップ3位、R&B2位と、物凄いヒットだったんですね。ロイヤルティーンズは、ただ、このようなノベルティ・タイプの曲だけでなく、メロディックなヒットもありました。
Believe Me/The Royal Teens
59年、26位のビリーブ・ミー。歌い出しにバースが付いている曲が多いというのも、ホワイト・ドゥーワップの特徴ですね。ディオン・タイプの曲を作ったのはロイヤルティーンズのメンバー、ボブ・ゴーディオ、このボブ・ゴーディオが同じニュー・ジャージ―のフォー・ラバーズに加入してできたのが、フォー・シーズンス。
フォー・シーズンスのヒットが登場するのは62年になってからです。さて、ここからはガール・グループについてです。以前の定説では、アトランティック・レコードAtlantic Recording Corporationのボベッツがガール・グループの元祖といわれていました。
Mr. Lee /The Bobbettes
ニュー・ヨークはスパニッシュ・ハーレム出身のボベッツ、57年6位、R&Bではナンバー・ワンに輝いたナンバーワン・ヒットでした。
しかし、昨今、ウエスト・コーストのパートでもお話ししましたが、西海岸のシャーリー・ガンターとクイーンズShirley Gunter and “The Queens”の方が、タイムライン的には先だということで、そちらが元祖と言われるようになりました。
ただ、ポップ・チャートに入らなかったので、東海岸での知名度は薄かったと、そこへ行きますと、ボベッツは、ポップでもトップ・テンに入っていましたので、印象度が違いました。ま、どちらを元祖とするのかは、各々の解釈ということ。さて、シャーリー・ガンターとクイーンズやボベッツは、全員が女性ですが、チューン・ウィーバーズは女性二人、男性二人です。ただ、リード・ボーカルが女性なので、このラインアップに入れてみました。
Happy, Happy Birthday Baby / The Tune Weavers
57年R&B4位、ポップ5位の大ヒット、ハッピー・ハッピー・バースデイ・ベイビー。チューン・ウィーバーズはボストンのグループで、先輩にはジー・クレフツ、この後にフレディー・キャノンが登場してきます。
全員が女性ではないので、ガール・グループには入れられてないんですけどね。次は全員女性です。サウンドとして60年代女性グループの元祖は、このグループです。ザ・シャンテルズ。
Maybe / The Chantels
58年ポップ15位、R&B2位のメイビーでした。全員がブロンクス出身です。
シックスティーズ・ポップスのガール・グループという意味では、これが元祖ですね。
スペクター・サウンド Phil Spector に与えた影響は大きいと思います。
ポートレートを見ますと、クリスタルズThe Crystalsによく似ています。
58年、ニュー・ジャージ―のパセイクPassaic に有る小さなレコード会社、ティアラ・レコードTiara Recordsという会社がありました。
女性グループが自作の歌でデビューしたんですね。パセイク・ハイスクールPassaic High Schoolに通う女生徒たちで結成されたグループが、ポケッツ、デビューの際に名前を変えて、ザ・シュレルズ。
I Met Him On A Sunday / The Shirelles
日曜に会って、水曜にデートして、木曜にキスして、土曜に別れたと、こういう歌はちょっとプロは作れないですね。さすがにアマチュアならではという曲ですが、この、アイ・メット・ヒム・オナ・サンデイの原版をデッカレコードに売ったところ、ポップ・チャートで49位にランクされました。その後、デッカから2枚のシングル盤を出しましたが、まったくヒットせずで、ティアラ・レコードの女性社長は、自分でレコード会社を始めたんですね。あまちゃんの春子さんですな。それが、えー、スリー・エー・プロダクションじゃなくて、セプター・レコードScepter Recordsです。
最初に出したシュレルズのシングルは、キング・レコード、ロイヤルズのカバーでした。
Dedicated To The One I Love / The Shirelles
それにしても、マニアックなところから選んできましたね。この選曲は、度胸のある選曲といえますね。しかし、このシングルは、83位までしか行きませんでした。そこで社長は、シックスティーン・キャンドル 16 Candles などを書いている作家、ルーサー・ディクソンLuther Dixonに作曲を依頼します。
何でも、「エレベーターでばったり会ったから、頼んだ」といってますけどね。そのルーサー・ディクソンがシュレルスに書いたナンバーは、トゥナイト・ザ・ナイト。
Tonight The Night / The Shirelles
いよいよ60年代に近づいてきましたねー。本日かかった曲としては、これは初めて60年にリリースされた曲です。それ以前はすべて59年以前のものでした。トゥナイト・ザ・ナイトのチャートは、ポップは39位でしたが、R&Bは14位にランクされまして、人気も徐々に上がりつつあったところへ、次の曲がシレルズとしても、更にシックスティーズ・ポップスの、さらにガール・グループ・サウンドとしても、決定打となるビッグ・ヒットが登場しました。
Will You Love Me Tomorrow / Tle Shirelles
R&Bでは惜しくも2位でしたが、ポップ・チャートでは堂々の1位。60年11月に登場した、このウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモローが、シックスティーズ・ポップスの幕を切って落としたのです。作家はゲリー・ゴフィンGerry Goffinとキャロル・キングCarole King、アレンジャーはルーサー・ディクソンLuther Dixon、出版社はドン・カーシュナーDon Kirshnerのアル・ドン出版Aldon Music。
ゴフィン・キングとアル・ドンの時代がここから始まりました。
本日はホワイト・ドゥーワップの隆盛から、ガール・グループの曙までをお送りいたしました。50年代末まではぽつぽつとしかいなかった女性コーラス・グループが、ここからはジャンジャカ登場して、賑やかになるのが60年代ポップスなのですが、今回はここまでといたします。それでは、また明晩。