それでも、ラジオはミッドナイターズについては大したことが無いと思った。しかし、ティーンのリスナーを惹きつけたいと思っている局は、R&Bがとても人気なので、大騒ぎで放送時間をR&Bに充てざるを得なかった。
1953年にビルボード誌Billboardが実施した調査によると、25%のラジオ局が平均して1週間に2時間半のR&B番組を持っていた。
ハンター・ハンコックHunter Hancockやアラン・フリードAlan Freedが放送していた録音番組はとても人気で、フリードのテープ録音番組番組等、ジャズやR&B番組を毎日18時間流すニュージャージー州ニューアークのWNJRのようなところもあった。
上記のビルボード調査と同じ号によれば、1953年総計売上は1,500万ドルに達し、ティーネージャ―達が力強いバックビート音楽を欲しがっていた結果であると感じ、それはちょうど、戦前のスイング世代の子たちを生み出した音楽のようなものだと報じている。
“Annie”が最高潮に達するまでには、矯正のシステムが確立された。
東海岸自己管理R&Bディスク・ジョッキー・クラブが、「わいせつと人種差別による品位低下と戦う」ために結成され、ビルボード誌が「クラブがかけ続けたくない曲は性的な暗示を含むやり方で扱ったものや、飲酒を扱うもの、黒人をあざ笑うもの」と報道している。クラブはブルースのレコードそれ自体に反対しているのではなく、楽曲のリズムや拍子を扱わない’rock’、’roll’または’ride’が入っているレコードに反対した。最も強く反対したのは明らかに白人DJ達だった。オークランドKLXのビル・ローズBill Lawsは「僕はブルースの特集はしたくないが、リクエストがどんどん来るんだ。」と話した。マサチューセッツ州リンのWLYNのドン・シャーマンDon Shermanがビルボード誌に次のように語ったが、それには納得している。「僕のポップ番組で、あまり不快でないR&Bレコードを数曲かけ始めることは必要だと思った。ティーネージャ―達は、他に知らないようだ。」メンフィスでは、警察が取り締まり、不快なレコードの入ったジューク・ボックスを押収した。
そのようなレコードの一枚は、まもなく少し説明が必要になってきた。ブル・ムース・ジャクソンBull Moose Jacksonの”Big Ten-Inch Record”は二重の意味でも、また、タイミング的にも傑作だ。
こっそりと良く売れたが、そのテーマは変化した。変化したのはセックスではなく、レコードだった。1948年から1950年の間に、コロンビアとRCAはそれぞれ新しい種類のレコードを導入した。コロンビアのものは、ロング・プレイング・レコードで、33 1/3回転で、10インチと12インチの2サイズが発売された。
(78回転盤も12インチで入手できるが、ほとんどクラシック音楽専用だった。)一方で、RCAは7インチで中央に大きな穴が空いていた45回転だった。それぞれ利点があり、78回転盤よりも音が良かった。このことは、よりハイエンドの消費者(ほとんどの人はブル・ムース・ジャクソンを聞いたことがない)特にジャズ・ファンにとっては、ノーカット、つまり延長演奏の録音を途切れることなのないレコードを、初めて買うことができるのだから大問題となった。クラシック音楽ファンもレコード盤をひっくり返す前に、音楽を20分間聞くことのできるレコード媒体を歓迎した。一つ例を挙げると、オペラを聴くのに関して、革命をもたらしたのだ。ロング・プレイング・レコード、即ちLPレコードは、ポピュラー・アーティストによるシングルを集めるための素晴らしい媒体でもあり、キャピトルはすぐに、フランク・シナトラFrank Sinatraのアルバムを発売して実現した。1955年、ビルボード誌はLPレコードのチャートを開始した。