プレスリーが入隊した後、プレスリー節をいち早くマスターして、徹底的に売り物にしたジーン・ビンセント、彼の「ビーバップ・ルーラ」はまさに傑作でした。
その後にヒット版の後が続かず、僅かに「ブルー・ジーン・バップ」辺りがマークされただけで話題から遠ざかって行ったのは、これは模倣品の弱さでしょう。
ジーン・ヴィンセント ブルー・ジーン
ビンセントの他には、「バイ・バイ・ラブ」で我が国にもお馴染みのエバリー・ブラザースがいます。
専属のレコード会社が小会社のケーデンスのため、我が国にも英国経由ロンドン・レーベルで発売されたために流行の時期が遅れ、あまりレコードとしては注目されませんでしたが、アメリカのティーン・エージャー間では大もて。2枚目の「ウェーク・アップ・リトル・スージー」も相次いでヒットしました。
エバリー・ブラザースは、ドンとフィルの二人兄弟。兄が20歳、弟が18歳、ケンタッキー生まれで両親がウェスタン畑のアーティストであったため、二人は八つと六つの時からステージに立って歌い始め、1954年に自作の歌を作って、ある出版社に持ち込んだのが縁になって新興レコード会社のケーデンスで吹き込むことになりました。