サム・クックSam Cookeも、うずうずしてきた。


キーン・レコードKeen recordsでのクックのレコードは順調で、ブラック・マーケットにおいては非の打ちどころがないのだが、ポップの世界では、考えていたほどではなかった。いくつかの点でキーンはレコード販売力がないと非難し、また、マネージしているウィリアム・モリス・エイジェンシーWilliam Morris Agencyも責めた。

しかし、このエージェンシーは、クックをRCAレコードと接触させ、1959年の末に、サムはRCAとの契約内容を検討した。

彼らはクックにポップを演奏させるという素晴らしい考えを持っていて、プロデューサーとしてヒューゴ&ルイジHugo & Luigiを付けた。


ヒューゴ・ペレッティHugo Perettiとルイジ・クリアトーレLuigi Creatoreは従弟どうしで、白人アーティストがカバーするためのR&Bレコードを探す仕事をマーキュリーのためにしていた等の実績があるとともに、RCAがそれぞれに10万ドルの報酬と他の手当てを提示した時には、モーリス・レビーMorris Levyと一緒にルーレット・レコードRoulette Recordsを共同経営していた。

二人はレビーと円満に分かれ、仕事を引き受けた。クックは二人にとって最初の大きな依頼人であり、ポップに転向させる決断をした。クックと一緒に制作した二人の最初の楽曲は、ジェフ・バリーJeff Barryの「ティーネージ・ソナタTeenage Sonata」で、複雑になり過ぎ、オーケストラも過剰だったので、ポップ・チャートで50位止まりだった。

![Sam Cooke – Teenage Sonata – Vinyl (7", 45 RPM, Single), 1960 [r6641087] | Discogs](https://i.discogs.com/a_Q1UuvCRDExd9_-dMJwALdGlF6bZ6mPEEincE7WN6I/rs:fit/g:sm/q:40/h:300/w:300/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTY2NDEw/ODctMTY3MzY2ODIx/My01NzYzLmpwZWc.jpeg)
更につらかったのは、サムがルー・アドラーLou Adler、ハーブ・アルパートHerb Alpertと一緒に書いた「ワンダフル・ワールドWonderful World」を、キーン・レコードがリリースした時で、この曲の方がはるかに優れていて、トップテン近くまで行った。
![Lou Adler – A Musical History – CD (Compilation), 2014 [r7926205] | Discogs](https://i.discogs.com/fquust-aMUybenDsdsPU4JqM-6YJwGYnwWMU_ozT5XE/rs:fit/g:sm/q:90/h:596/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTc5MjYy/MDUtMTQ1NDAzNjQ5/OS0yNzAzLmpwZWc.jpeg)

![Amazon.co.jp: The Wonderful World Of Sam Cooke [Analog]: ミュージック](https://m.media-amazon.com/images/I/A1nGTOjVJfL.jpg)

ヒューゴとルイジは、サム・クックの別のオリジナル「チェイン・ギャングChain Gang」で再挑戦した。


この曲でサムはガールフレンドに、一日中石を砕いて費やすことがどんなことか、そしてどれほど再会を待ち焦がれているかについて愛情をこめて歌った。奇妙な選択だったかもしれないが、2位になり、サム、ヒューゴ、ルイジは何かをつかんだように見えた。
