レコードは地元で急速に売れだしたので、ゴーディは潜在需要に追い付いていないと理解し、その曲をユナイテッド・アーティスツにリースしたところ、R&Bチャートで5位、ポップ・チャートで30位に入った。
![Marv Johnson – Come To Me / Whisper – Vinyl (7", 45 RPM), 1959 [r769823] | Discogs](https://i.discogs.com/68EYdnurJncwQqfT3syDN6r7OVrVBC-XDY9r9GldBPw/rs:fit/g:sm/q:90/h:597/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTc2OTgy/My0xNTc4NTk3OTEz/LTczMTguanBlZw.jpeg)
(ジョンソンはユナイテッド・アーティスツUnited Artistsに留まり、1960年のベストセラー「ユー・ゴット・ホワット・イット・テイクスYou Got What It Takes」など、ゴーディがジョンソンのほとんどの曲をプロデュースした。)
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ゴーディはお金を手にすると、それを会社に返しスタディオに戻ったが、一緒にいたのはジャッキー・ウィルソンJackie Wilsonのためにゴーディとティラン・カルロTyran Carloが書いた曲のデモ作成に当たって使った子、エディ・ホランドEddie Hollandだった。



ゴーディは、もう一度タムラ102をユナイテッド・アーティスツにリースしなければならなかったが、ヒットしなかった。ゴーディは頑張り続け、友人のメイブル・ジョンMable John(リトル・ウィリー・ジョンLittle Willie Johnの姉で、レイレッツThe Raelettesのメンバー)と一緒にウェスト・グランド・ブールバードを車で南下していると、売りに出されている家が目に入った。

![The Raelettes – Hits And Rarities – CD (Compilation, Limited Edition, Unofficial Release), [r3667543] | Discogs](https://i.discogs.com/Y8GnNn2_Te6AcM_fShXdCEgKGtpeIdcglBujBCU6tBo/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:598/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTM2Njc1/NDMtMTMzOTU2NjUx/Mi04NzIzLmpwZWc.jpeg)
ゴーディは運転免許を持っていないので、メイブルが運転していたが、突然ゴーディが「止まって!」と言った。
「私たちは停まって、車から出たの」とメイブルは後に書いている。「ゴーディは階段を上がり、窓の中をじっと見た。」『これだ。』『何がこれなの?』と聞いたわ。『本社』『何の?』『経営。音楽出版会社の。レコード会社さ。スタディオだ。全てがここで起こるんだ。わかる?』」ゴーディには他の人には見えないものが見えるらしいから、もしゴーディに見えるんだったら、それで十分とゴーディに言った。ゴーディはその家を購入し、「ヒッツビルUSA Hitsville U.S.A.」という看板を掲げた。

