そんなことが起こっている間、ロイヤルズThe Royales からミッドナイターズThe Midnightersに名まえを変えたばかりのデトロイトのボーカル・グループが、広範囲に影響することになるスキャンダルに火をつけた。
「ワーク・ウィズ・ミー・アニーWork with Me, Annie」は、白人の親達が自分の10代の子供たちが聴くのを恐れた曲だったが、現実には聞いていた。
歌詞がほんとにすごかった。アニーがしてくれと頼まれたことは、何か全く別のことのように聞こえ、リード・ボーカルのハンク・バラードHank Ballardが『いい気持ちにさせてくれ』と頼んだのは、確かにどぎつかった。さらに悪いことに、この曲は非常にキャッチーだった。そして1位になった後、彼らは「セクシー・ウェイズSexy Ways」を出した。
この曲は、なんというか、普通歌わないような内容で、セクシーであるということに関し、ハンク・バラードの歌い方は疑いの余地をほとんど残さなかった。しかし、この曲は主に黒人専門のラジオ局でかかったが、これらの放送局は出力が低い上に、日が暮れると放送が終了する傾向があった。この時までには、わいせつなレコードを探し求めていた子供たちは、何を注文すれば良いかが分かり、夏に「アニー・ハッド・ア・ベイビーAnnie Had a Baby」が出た時には、ラジオ放送はたぶん夜遅かったので、幾らかは放送されていただろうが、それほど重要ではなかった。
それでもラジオは大騒ぎで、ミッドナイターズのレコードについてはたいしたことは無かったが、ティーンのリスナーを惹きつけたいと思っている放送局は、R&Bがすごい人気なので放送時間をR&Bに充てざるを得なかった。1953年にビルボード誌Billboardが実施した調査によると、25%のラジオ局が平均して1週間に2時間半のR&B番組を持っていた。ハンター・ハンコックHunter Hancockやアラン・フリードAlan Freedが放送していた、あらかじめ録音され送付された番組はとても人気で、テープに録音されたフリードの番組等、ジャズやR&B番組を毎日18時間流すニュージャージー州ニューアークのWNJR局のようなところもあった。
同じ号の上記ビルボード誌調査によれば、1953年総計売上は1,500万ドルに達したのだが、それはティーンエイジャー達が力強いビートのダンス音楽を求めた結果であると感じ、ちょうど戦前のスイング世代の子たちを生み出した音楽のようなものだと報じている。