ロサンゼルスは独立系レーベルで全米をリードしていたが、他の都市にもあった。シカゴにはチェス・レコードだけでなく、音楽業界のベテランが設立したマーキュリー・レコードMercury recordsもあり、キャピトル・レコードCapitol recordsに似ていて、カントリーではなくポップ・ミュージックとブルースをレコーディングし、チェスのレコードよりはるかに洗練されたブルースだった。
チェスにはマディ・ウォーターズMuddy Watersが、マーキュリーにはダイナ・ワシントンDinah Washingtonがいたが、ワシントンはブルースとジャズにまたがるレパートリーを持ち、ベシー・スミスBessie Smithとビリー・ホリデーBillie Holidayの伝統を結合させたということができるかもしれない。
ニューヨークは、このような動きが数多くあることを期待されたにもかかわらず、戦後のトレンドに追いつくのがとても遅く、当初、ウェスト・コーストのレーベルと同じ種類のアーティストを探していたのは、戦前からのレコード業界のベテランであるハーブ・エイブラムソンHerb Abramsonと元駐米トルコ大使の息子のアーメット・アーティガンAhmet Ertegunとが設立したアトランティック・レコードAtlantic Recordsだけだった。
アーティガンは兄のネスヒNesuhiとともに大のジャズ・ファンで、膨大なレコード・コレクションと、大使館でジャズ・コンサートを時々開いていたことが有名だった。アトランティックをアメリカのトップ・ジャズ・レーベルにすることを目指し、ニューヨークのジャズ・アーティストを探し、レコーディングしようとした。しかし、ニューヨークが本拠地だったので地方のブルースを聞いたことがなく、アランティックのリストにブルースは載らなかった。