しかし、ブルースでは世代交代が起こっていた。マディ・ウォーターズMuddy Watersとハウリン・ウルフHowlin’Wolfは、しばらくの間、新作を発表していたが、最後のシングルがチャート入りしたのはすでに過去のことであり、リトル・ウォルターLittle Walterは10月に発売予定だった。



シカゴにおけるブルース演奏者の新世代は、サウスサイドでなくウェストサイドの出身だった。

情熱的な左利きのオーティス・ラッシュOtis Rushなどは「オール・ユア・ラブAll Your Love」がヒットし、マジック・サムMagic Sam、バディ・ガイBuddy Guy、ジュニア・ウェルズJunior Wellsはシカゴのクラブに若い人を大勢惹きつけた。





メンフィス・ブルースの新世代タレントも出現し、1957年にボビー・ブルー・ブランドBobby “Blue” Blandが「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロードFurther On Up the Road」で炸裂し、次から次へと素晴らしいレコードを発売するとともにツアーにも出かけた。


しばしばジュニア・パーカーJunior Parkerと一緒になったが、パーカーはサン・レコードSun Recordsからドン・ロベーDon Robeyに引き抜かれた後、ロベーのデューク・レーベルと契約した。




