1960年まで、ビージェイは好調だったので、ジャズ・アーティスト(デトロイト出身者もいた)と契約し、かつてサム・クックを雇っていたスペシャルティ・レコードSpecialty recordsの衰退とともに没落したソウル・スターターズThe Soul Stirrersなどのゴスペル・アーティストを迎え入れた。



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メンフィスでは明らかに政権交代も起きていた。サム・フィリップスSam Phillipsはサン・レコードSun recordsに興味を失ったように見えたのだが、一方で、マディソン639番地の不動産を購入し、この年の前半には75万ドルを、サム・フィリップスのレコーディング・サービスSam Phillips’ Recording Serviceとなるビルに投資した。


このビルは最新式でスコッティ・ムーアScotty Mooreが日々運営していた。
しかし9月に開所した立派な新施設は会社の主要ビルディングでしかなく、ナッシュビルのソニコ・レコーディングスSonico Recordingsにあった所に同社がサテライト施設を建設中で、サムが引き継いだ時、チーフ・エンジニアとして雇われていた若いプロデューサーのビリー・シェリルBilly Sherrillが、この新施設の一部を所有していた。
サムはまた、レコード店セレクト・オー・ヒッツSelect-O-Hitsを買って、サン・レコードSun records、フィリップス・インターナショナルPhillips International、その他のレーベルの流通を担わせ、弟のトムTomとサムの妻に経営を引き継いだ。


しかし、チャーリー・リッチCharlie Richの売り込みと、当時はリリースされなかったジェリー・リー・ルイスJerry Lee Lewisのレコーディング・セッションをたまに行った以外は、サムは心ここにあらずといった振る舞いで、全員女性のラジオ局チェーン、ラジオ局の売買、新しいガールフレンド(妻とは離婚せず、二人の息子の成長には大いに関心を持っていたが)、友人のフランチャイズ・ホテルのホリデー・インHoliday Innに関心があった。



ジム・スチュワートJim Stewartとエステル・アクストンEstell Axtonはついに、ブランズウィックの辺境にあるジムのレコーディング・スタディオが行くのに遠すぎると判断し、メンフィスを見渡すと、中流の黒人街に隣接しているキャピトルthe Capitolという古い映画館が、カレッジ・ストリートとマクルモア・アベニューの角にあって貸し出されていた。
賃料は月100ドルで音響特性がとても良く、ジムは自分のレコーディング機器を運び込め、一方、エステルはロビーに小さなレコード店、サテライト・レコーズSatellite Recordsを立ち上げることができた。

ブランズウィックでは、レコーディングがよく行われていたわけではなく、スタディオは目下ロイヤル・スペードThe Royal Spadesという白人の高校生たちが使っていた。
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もともとはギター・グループで、スティーブ・クロッパーSteve Cropperがギター、その友人のドナルド・ダック・ダンDonald Duck Dunnがベース、テリー・ジャクソンTerry Jacksonがドラムス、ジェリー・リー・スムーチー・スミスJerry Lee “Smoochy” Smithがキーボードだったが、エステルの息子でテナー・サックスを演奏するパッキーPackyが自分も参加できるかと聞き、その時、何気なく母親がレコーディング・スタディオを持っていると話したのだった。
すぐにウェイン・ジャクソンWayen Jacksonとドン・ニックスDon Nixがホーン・セクションを追加し、エステルが毎週末スタディオへ車で彼らを送った。


しかし、いったんキャピトル映画館を借りると、そこがすべての中心になり、少年たちが練習していないときは、ジムとエステルが内装するのを手伝い、古い椅子を外してじゅうたんを敷き、カーテンをかけ、壁には吸音タイルを貼った。
