クリフ・リチャード&ドリフターズは1959年を豪勢に終え、クリフは、テレビやラジオにどんどん出て、「シリアス・チャージSerious Charge」という映画も製作中で、4曲を録音した。


そのうちの一曲を、映画の宣伝のためにデッカにリリースしてもらうべきだと思ったが、デッカがリリースしていたリッキー・ネルソンRicky Nelsonのレコードの影響を受けてしまい、映画で最も良い曲は「リビング・ドールLiving Doll」だとわかっていたのに、サウンドトラックのレコーディングで失敗してしまった。

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彼らは再録音をするようにデッカを説得し、少しスローにして、ハンクにジェームス・バートンJames Burton風のけだるいソロ演奏をさせたところ、ヒットした。

彼らは突然お金持ちになったので、ハンク・マービンはフラミンゴ・ピンク色のフェンダー・ストラトキャスターFender Stratocaster を本気でイギリスに輸入するつもりだった。

フラマスなどドイツ製ギターは許可されていたが、アメリカのギターはイギリスでは販売が許可されていなかったので、あの手この手で高額の関税を払い、フェンダー社と直接取り引きするのが入手する唯一の方法だった。

イギリスの中で手の届きそうな唯一のギターは、マーティ・ワイルドMarty Wildeのバンドのジム・サリバンJim Sullivanが所有していた。


それは、マーティがシスター・ロゼッタ・サープSister Rosetta Tharpeから買った1955年製ギブソン・レス・ポール・ゴールドトップGibson Les Paul Goldtopで、ワイルドの成功に貢献したためにサリバンに与えたギターだった。


シスター・ロゼッタは1940年代からギター演奏の伝道者をして、フォーク・ブルースのツアーでヨーロッパに行っていた。しかし、クリフは、あることでマーティに勝った。「リビング・ドールLiving Dollはうまくアメリカでヒットしつつあったので、クリフ&ドリフターズThe Drifters(いいや、シャドウズThe Shadowsだ。というのは、アメリカのドリフターズThe Driftersというグループの「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビーThere Goes My Baby」がちょうどヒットしたばかりで、こっちのドリフターズの方がずっと長く活躍していて競争にならないと主張したので、シャドウズThe Shadowsに改名したのだ)がアメリカ・ツアーに出かけたのだが、このレコードが30位止まりだったので打ち切りになった。


しかしシャドウズはこの機会にニューヨーク48番街や伝説の楽器店を訪れ、自分たちの楽器を購入した。クリフもニューヨークのどこかで、「エキスプレッソ・ボンゴExpresso Bongo」という映画を作ったが、それは彼らが登場し、1958年からロンドンのウェスト・エンドでヒットした演劇の映画版だった。



それは、ボンゴ・ハーバートBongo Herbertという若者の物語で、怪しいマネージャーの助けを得て、ソーホーの薄汚れた舞台においてショービジネスの世界でのし上がるのだが、それがリリースされると大いに物議を醸した。

クリフは自分のファンに謝罪し、次はもっと健全な映画にすることを約束し、今でもその約束は守っている。
