夜は自転車で友達の家に遊びに行った。エルビス・プレスリーのサン・レコードSun Recordsをスーツケースいっぱいに詰め込み(彼は宝物のように大事にしていた)ベッドの下から出してきて、私たちに聴かせるのが大好きなリチャードという男がいた。
私たちは皆、この男、エルビス・プレスリーに心を奪われていた。プレスリーのレコードが南部でしか聴けなかった時代だ。
私たちは夜、人気のある魅力的な女の子たちを自転車で訪ねたものだが、彼女たちはポーチでラジオを聴いていた。
1956年当時、デイトナ・ビーチには2つのラジオ局しかなく、そこで流していたのは、ドン・チェリーDon Cherryの「バンド・オブ・ゴールドBand Of Gold」、フォー・ラッズThe Four Ladsの「ノー・ノット・マッチNo Not Much」、モリス・ストロフMorris Stoloffの「ムーングロウMoonglow」といったポップ・ソングだけだった。
1956年のデイトナ・ビーチ辺りでは、ラジオからロックンロールは流れていなかった。ある日、学校でデイトナ・ビーチから100マイル北にあるラジオ局を聴いていたのがバレた。フロリダ東海岸の小さなビーチタウンで、そのラジオ局は一日中ロックンロールを流していた。私はチャック・ベリーの新譜「スクール・デイズ」をよく聴いていた。