アラジン・レコードAladdin recordsは、たぶん古いスタイルの都会のブルースとジャズに専念していたために、もっとひどいことになり、その結果、1961年にメスナー兄弟The Mesner brothersは、ぱっとしないレーベルを全曲、インペリアルImperialのルー・チャッドLew Chuddに売ってしまった。



他の兄弟としては、ビハリ兄弟The Bihari Brothersがモダン・レコードModern recordsからシングルを出し続け、RPMレコード RPM recordsからBBキング B.B.Kingのレコードをリリースしたが、過去に売れたレコードを包装し直して、クラウン・レコードCrown recordsから廉価版のアルバムとして売るのが最も儲かった。



クラウンは、有名人の名前を大きな文字にして、そのスターの絵をジャケットにすることで知られ、それを家に持ち帰って開けてみると、今買ったばかりのローエル・フルソンLOWELL FULSONのアルバムは両面に2トラックずつしかなく、アルバムの残りはモダンModern recordsの保管庫から出した無名で、そのレコードのレーベルにしか載っていない演奏者だった。

そうなんだ、1.98ドルで買えるものはたかが知れてる。場所は変わってセントラル・アベニューで、1940年代後半から商売をしてきたジョン・ドルフィンJohn Dolphinは、パーシー・アイビーPercy Ivyという不満を抱いている作曲家に仕事の件で話していたところ、アイビーは銃を抜いてジョンを射殺した。


この殺人事件を、オーディション待ちしていた3人の白人ティーンエイジャー、デイブ・ショスタックDave Shostack、ブルース・ジョンストンBruce Johnston、サンディ・ネルソンSandy Nelsonが目撃した。


ショスタックは跳ね返った銃弾に当たって足から血を流し、ネルソンは自分のソーダを落とし、走って行って警官を捕まえ、ジョンストンは後ろにいて取り乱したアイビーを慰めた。そして、獄中で書く曲の出版人としてアイビーの代理人になるという提案をした。不思議なことにこのことで、ネルソンとジョンストンが音楽業界でのキャリアを断念することはなかったようだ。
