ハートランドにおける黒人の声 4

今になって思えば、1952-1953年の期間は、リズム・アンド・ブルースのスタイルの重要な転換点だった。古いタイプのジャンプ・ブルースはまだ流行っていた――ビッグ・ジョー・ターナーBig Joe Turnerはアトランティック・レコードAtlantic recordsに多少クラシックな曲を作り、ロイ・ミルトンRoy Milton、チャールズ・ブラウンCharles Brown、エイモス・ミルバーンAmos Milburnはヒットを出していた――が、他のソロ・アーティストはブルースとポップの間のどこかに、新たな領域を探索していた。

Amazon Music - ビッグ・ジョー・ターナーのMorning Glory - Amazon.co.jpAmazon Music - Roy Milton and The Solid SendersのThe Roy Milton Collection 1945-61 - Amazon.co.jp

Amazon.co.jp: An Introduction To Charles Brown : チャールズ・ブラウン: 洋書Amos Milburn/エイモス・ミルバーンの酒場放浪記 1946-1959

最も輝かしいスターの一人、ジョニー・エースJohnny Aceは、さらにもう一人のメンフィスのシンガーであり、非公式な若者グループであるビール・ストリーターズthe Beale Streetersの一人で、一緒にたむろしていて地元で人気があった。エースの「マイ・ソングMy Song」はナンバー・ワン・レコードになり、10代の女の子に大人気だった。

Amazon | Memorial Album | Johnny Ace, Sonny Boy Williamson II | クラシックソウル | ミュージック17104236; 西ドイツ盤/ACE Earl Forest Featuring The Beale Streeters With Bobby Bland And Johnny Ace / S.T.(ブルース)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com)

Johnny Ace With The Beale Streeters – My Song / Follow The Rule (1952, Shellac) - Discogs

(この曲は、メンフィスのタレントを呼び物にするデューク・レコードDuke recordsからリリースされ、自分のブロンズ・ピーコック・クラブBronze Peacock clubにちなんだ名前のピーコック・レコードPeacock recordsをすでに所有しているヒューストンのドン・ロビーDon Robeyは、メンフィスに言ってデューク――とジョニー・エース――をすぐに買った)。

Duke Records (2) レーベル | リリース | DiscogsBronze Peacock Dinner Club, Houston, Tx. (late 1940s) | Movie stars, Dinner club, The o'jays

Peacock Records レーベル | リリース | DiscogsDon Robey - Wikipedia

テキサス人のフロイド・ディクソンFloyd Dixonは幅広いスタイルの曲を書いて歌い、彼の「コール・オペレーター210 Call Operator210」は1年中ジュークボックスでかかった。

Amazon Music - Floyd DixonのYou Made a Fool out of Me - Amazon.co.jpJohnny Otis And His Orchestra Featuring Mel Walker – Call Operator 210 / Baby Baby Blues (1952, Shellac) - Discogs

スペシャルティ・レコードSpecialty recordsは素晴らしいことを成し遂げることになる二人の地元アーティストを見い出した。

Rip It Up: The Best of Specialty Records【アナログ】 | ヴァリアス・アーティスト | UNIVERSAL MUSIC STORE

パーシー・メイフィールドPercy Mayfieldは「ブルースの詩人The Poet of the Blues」とほめちぎられたソングライターでシンガーだったが、その作品ははるかにポップ色が強かった。

Percy Mayfield(パーシー・メイフィールド)の情報まとめ | OKMusic - 全ての音楽情報がここに

単なる誇大宣伝というわけでもなく、「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブPlease Send Me Someone to Love」はハーモニーとして洗練され、かつ、歌詞も完成されたものだった。彼自身もハンサムで熱烈なファンもいたが、1952年の自動車事故で顔を損傷して公の場に出ることが怖くなり、レコードや作曲は続けたが演奏はしなくなってしまった。ジェシー・ベルビンJesse Belvinは、もしソロ活動の芸に専念していれば、このようなアーティスト達の中でもっとも有名になっていたかもしれないが、彼はマービン・フィリップスMarvin Phillipsと組んで、ジェシー・アンド・マービンJesse and Marvin(さらにはマービン・アンド・ジェシーMarvin and Jesseとしてヒット曲を出したり、長年にわたって『ジェシーJesse』という他のボーカリストにもなった)としてレコーディングし、ロスアンゼルスの先駆者的ボーカル・グループのハリウッド・フレームズにもなった。

Amazon | Guess Who | Belvin, Jesse | クラシックソウル | ミュージックJesse And Marvin – Dream Girl / Daddy Loves Baby (1952, Shellac) - Discogs

もう一人のエンターテインメント起業家はジョニー・オーティスJohnny Otisで、ロサンゼルスのワッツにあるナイトクラブのバーレルハウスthe Barrelhouseで、ドラムやビブラフォンを演奏して売りにするだけでなく、サボイ・レコードSavoy recordsやモダン・レコードModern recordsなどのレーベルのためのタレント・スカウトとしても働いていた。

THAT'S YOUR LAST BOOGIE! THE BEST OF JOHNNY OTIS : 1945 - 1960 (3CD デジパック仕様)/JOHNNY OTIS/ジョニー ・オーティス|SOUL/BLUES/GOSPEL|ディスクユニオン・オンラインショップ|diskunion.netAmazon | Midnight at the Barrelhouse | Various Artists | ジャンプミュージック | ミュージック

Savoy Records レーベル | リリース | DiscogsModern Records (2) レーベル | リリース | Discogs

ジョニーの最初の掘り出し物はリトル・エスターLittle Esther(Phillips)で、見つけて売り出した時には16歳で、バックはロビンズthe Robins(そしてもちろんジョニー・オーティス・クインテットthe Johnny Otis Quintetteもいて、その名前でレコードはリリースされた)で、1950年に「ダブル・クロッシング・ブルースDouble Crossing Blues」はチャート1位になった。

LITTLE ESTHER (ESTHER PHILLIPS) (リトル・エスター・フィリップス) - T'Ain't Whatcha SaAmazon Music - The RobinsのSince I First Met You - Amazon.co.jp

Little Esther, The Robins, Johnny Otis Quintette, Leon Sims With Johnny Otis Orchestra – Double Crossing Blues / Ain't Nothin' Shakin' (1950, Vinyl) - Discogs

エスターのたくさんあるレコードの引き立て役はメル・ウォーカーMel Walkerで、メルもまたオーティスのクルーをバックにして自分の名前でレコードを出していた。

Mel Walker: albums, songs, playlists | Listen on Deezer

オーティスの知り合いで、オーティスが白人だということを知っているのはほとんどおらず、カリフォルニア州バークレーの雑貨屋を経営するギリシャ人夫婦の息子ジョン・ベリオテスJohn Veliotesとして生まれた。

PFC Alexander John Veliotes (1888-1957) - Find a Grave Memorial

ジョンの最初の自伝リッスン・トゥ・ザ・ラムスListen to the Lambsは、どのようにして黒人に「なった」かの奇妙な記述で締めくくられている。

Listen to the Lambs. by OTIS, Johnny - 1968

確かに1952年の最も変わったリズム・アンド・ブルースのスターは、陽気な白人歌手で、演奏中に補聴器を付け泣き崩れることもあった。ジョニー・レイJohnnie Rayはであったかもしれないが、家系はしっかりしていて、デトロイトにあるアル・グリーンAl Greenのフレーム・ショー・バーFlame Show Barで一番の人気者だったし、彼の曲「クライCry」はポップとR&Bでトップになった。

Amazon Music - Johnnie RayのJust Walking In The Rain - Amazon.co.jpFlame Show Bar | The Concert Database

Amazon | Cry | Ray, Johnny | イージーリスニング | ミュージック

そして東海岸ではアトランティックがまだルース・ブラウンRuth Brownで成功していて、1952年末にはチャールス・ブラウンCharles Brownにとてもよく似ている男、Ray Charlesと契約し、スイングタイム・レコードSwing-time recordsからレコードを2枚出した。

Ruth Brown / ルース・ブラウン「Rock & Roll / ロック&ロール」 | Warner Music JapanCharles Brown/Drifting Blues

Amazon | Complete Swing Time & Down Beat Recordings 1949-52 | Ray Charles | クラシックソウル | ミュージック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。