1920年以降のレコード産業:レースとカントリー 3

パラマウント・レコードParamount recordsは、レース・ミュージック市場に参入した唯一の企業では決してなかった。

Paramount Record Label - Encyclopedia of Milwaukee

このような不確かな聴衆の後をあえて追いかける会社は、ほとんどの場合とても慎重で、普通はレース・ミュージックを、「クレージー・ブルースCrazy Blues」などのちょっと変わったヒット曲で利益をあげるかもしれない、数多くの小さなマーケットの一つに過ぎないと考えていた。

Opinion | How 'Crazy Blues' Changed Music Forever - The New York Times

マミー・スミスMamie SmithのレーベルのオーケーOkehは、オットーKハインマンOtto K. Heinemanというドイツ人の移民が経営し、イディッシュ音楽など少数民族の音楽にある程度専念したが、ほとんどのレース・レーベルは、最初から白人の聴衆も聞いていたし、ルイ・アームストロングLouis Armstrongやデューク・エリントンDuke Ellingtonなどのアーティストのいる黄金時代に始めていたので、ジャズに集中していた。

05-ad-okey-records-the-talking-machine-world-new-york-january-15-1921 - Friends of Music HallOtto Heinemann (1876 - 1965) - Genealogy

楽天市場】ソニー・ミュージックレーベルズ ルイ・アームストロング・ベスト・セレクション/CD/BVCJ-2605 | 価格比較 - 商品価格ナビ○アメリカ音楽界の公爵、デューク・エリントン誕生 1899年4月29日 | All The Things You Are - 楽天ブログ

少数民族の音楽はレコード会社に近いニューヨークやシカゴなど都心でも制作されていました。
当時、初期段階の産業であるブルースが、地方の白人音楽を調査するのと同じぐらいの時間をかけることは、あまり不思議ではなかった。それどころか、レコード会社から出向いたのではなく、ブルース市場の方からレコード会社に足を運んだのだ。1922年に、テキサス州アマリロのACエック・ロバートソン A. C. “Eck” Robertosonと、バージニア州出身のヘンリー・ジリランドHenry Gillilandは、フィドルの行事で優勝するとすぐに列車でニューヨークに行き、カウボーイの服装(ロバートソン)と南部連合軍の制服(ジリランド)を着て、ビクター・レコーディング・カンパニーVictor Recording Companyに入って、レコーディングを頼んだ。

Eck Robertson, Henry Gilliland – Arkansas Traveler (1988, Vinyl) - DiscogsCamden Recording Studios — VictorRecords.com | Victor Victrola® | Victor Talking Machine Co.® | VMI

ひょっとすると、二人を追い払うだけのために、ビクターは「アーカンサス・トラベラーArkansas Traveler」と「サリー・グッデンSallie Gooden」を録音した。

78 RPM - A. C. (Eck) Robertson - Sallie Gooden / Arkansaw Traveler - Victor - USA - 18956This Historic Day In Music: “Sallie Gooden” | sixstr stories

それは変わったレコードで、フィドルが2本しかない――そのうえ、別々の流儀のフィドル演奏者だった――が、誰かが発売すると決めて、驚いたことに、それが売れたのだ。ビクターが関心を寄せているという噂が出て、1924年、軽歌劇やポピュラーソングを録音していたボーカリストのマリオン・トライ・スローターMarion Try Slaughterはテキサス州の町の名前をとって、バーノン・ダルハートVernon Dalhartとして仕事に復帰し、「ザ・プリズナーズ・ソングThe Prisoner’s Song」をビクターで録音した。

Spotlight: Vernon Dalhart | Old Time BluesThe prisoner's song | Library of Congress

これは大ヒットになったが、その理由はスローたがー南部なまりで歌ったことにも要因があり、バーノン・ダルハートはスターになった。ほかのもっと伝統的なミュージシャンはチャンスを見い出し、フィドリン・ジョン・カーソンFiddlin’ John Carson、ヘンリー・フイッティアHenry Whittier、アーネスト・ポップ・ストーンマンErnest “Pop” Stoneman、アンクル・デイブ・メイコンUncle Dave Maconは、少なくともある程度は伝統的なレパートリーでレコーディングの道を歩み始めた。

Amazon Music - Fiddlin John CarsonのFiddlin John Carson Vol. 4 1926 - 1927 - Amazon.co.jpHenry Whittier | My Kind of Country

Amazon.com: Ernest V. Stoneman: The Unsung Father Of Country Music 1925-1934: CDs y ViniloAmazon Music - Uncle Dave MaconのAnthology: The Deluxe Collection (Remastered) - Amazon.co.jp

このことはチャンスだとビクターは考えた。ラルフ・ピアRalph Peerは南部人で芸歴はオーケーOkehから始まり、「クレージー・ブルースCrazy Blues」のレコーディングを承諾し、商業ベースで成功した最初の伝統的カントリー・アーティストのFiddlin’ John Carsonを数年後見い出した。

Amazon | Ralph Peer and the Making of Popular Roots Music | Mazor, Barry | Salsa

独特な音楽を聴く能力があることを知って、ビクターは才能ある人材発掘のためにラルフを雇った。バージニア州とテネシー州の教会をまたぐ(州の境界線が実際にステート・ストリートの中心を走っている)ブリストル市をラルフは選んだが、その主な理由は、ポップ・ストーンマンPop Stonemanやヘンリー・フイッターHenry Whittierなど、既にビクターでレコーディングしたほかのアーティストたちがその近くに住んでいたので、ビクター・レコードVictor Recordsのオーディションに才能ある人材の募集広告の一助になるからだ。1927年7月25日から8月5日まで広報活動をしたが、反応が鈍かったので、ストーンマン・ファミリーStoneman Familyにセッションをするように段取りして、新聞記者が見るように招待した。

Amazon | 28 Classics | Stoneman Family | カントリー | ミュージック

その結果、ストーンマン・ファミリーがレコードとツアーでどれほど金を稼いだかということを強調した記事がでて、ラルフのところには突然応募が来て、自動車、馬、そして徒歩でもスターになる見込みのある人材が、運試しにブリストルにやってきた。8月1日、マイクの前に座ったのは、バージニア州、メイシス・スプリングスから来たカーター・ファミリーCarter Familyトリオで、A.C.と彼の妻のサラSara、そしてサラの姉妹メイベル、Maybelleだった。

The Carter Family – On Border Radio, Vol. 1 (1995, CD) - Discogs

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。