ロックンロールの歴史 イギリスⅢー17

EMIは、意地でもイギリスを最初に制覇しなければならず、10月半ば、ドン・アーデンDon Ardenのリトル・リチャードLittel Richard・ツアー(サム・クックSam Cookeも同行)がニュー・ブライトンNew Brightonのタワー・ボールルームthe Tower Ballroomに来たが、ビートルズはリチャード出演前の最後から2番目だった。

Don Arden - PressReaderLITTLE RICHARD / 1962 / BIRMINGHAM TOWN HALL | Art for Sale | Havill & TravisNostalgia Tracks: The Evergreen Optimism of Sam Cooke's “A Change Is Gonna Come” - Atwood MagazineNew Brighton Tower, Wallasey, Cheshire, c1898-c1921. Artist: Unknown Stock Photo - Alamyライヴ演奏:タワー・ボールルーム/ワラジー [ビートルズ詳解]

thefootballvoice: Mersey Beat - Tower Ballroom New Brighton

リチャードは最初の二日間たくさんのゴスペルと、自分のポップ・ヒットのメドレーを急いで演奏したが、12時になるときまでにはセットリストの順番にした。そして前座にも注目し、「おい、あのビートルズは素晴らしい!見ていなかったら白人とは夢にも思わなかっただろう。あいつらは本当に正統のニグロ・サウンドだ。」マージー・ビート誌のジャーナリストに話した。マージー・ビート誌のフォトグラファーは、楽屋でリチャードとビートルズのツー・ショットを撮った。

Greatest Hits: Recorded Live!/Little Richard - 縞梟の音楽夜話

次にビートルズがリチャードと一緒に演奏したのは、11月初めのスター・クラブthe Star-Clubだった。

Beatles / Live At The Star Club / 2CD – GiGinJapan

ちょっと残念だったのは、レコードが極めて重要な段階に差し掛かっていたころだったということだ。ビートルズは、リチャードがいようがいまいがコンサートから抜け出したかったが、できなかった。もちろん誰もレコードをかけなかったが、キム・ベネットKim Bennettは一所懸命に試みた。キムは専業主婦向けの昼食時の番組のランチ・ボックスLunch Boxで、要領をつかんで、ビートルズがハンブルグから戻ってきた後に、ライブのラジオ演奏でBBCのプロデューサーにやらせてみた。キムがほとんどの要領をつかんだのは、10代向けの重要な番組のサタデイ・クラブSaturday Clubだったが、リバプールからレコードのリクエストが非常にたくさん来たので、そんなに人気があるはずはなく、組織的な運動だと思った。

Cameron K's Blog: Saturday Club BBC (previously Saturday Skiffle Club)

最終的に「ラブ・ミー・ドゥLove Me Do」は、11月末が近づいても放送されなかったが、ニュー・ミュージカル・エクスプレスthe New Musical Expressの27位に這い上がった。

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これはすごいことだ。NMEはロックンロールをかなり敵視しており、自身を本質的に洗練されたジャズ新聞だとみていたが、チャートは真剣に受け止められていた。つまり、とても真剣なのでジョージ・マーティンGeorge Martinはブライアンに電話をかけて11月末にもう一回セッションを手配するように言った。

Brian Epstein and George Martin. | The beatles, George martin, Beatles pictures

とはいえ、ビートルズはハンブルグに向かっている。報酬や滞在中のホテルまで、事情ははるかに良いのだ。それに何としても、リトル・リチャードのすることを見ないわけにいかないのだが、その中でもとりわけ、ピアノの上で最後にストリップショーをし、これはアメリカでやるゴスペルの演目の一部とはほぼ確実に違っている。リチャードには、16歳(ジョージ・ハリソンGeorge Harrisonは17歳で強制送還になったのだから、ワイスレダーWeisslederの当局とのコネが強かったに違いない。)のビリー・プレストンBilly Prestonという自分のオルガン奏者がいて、バックはイギリスのバンドのサウンズ・インコーポレーティッドSounds Incorporatedで、ビートルズとプレストンは、スタークラブthe Star-Clubで生涯にわたる友情を始めた。

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ブライアンは最近飛行機で移動していたが、ワイスレダーが1963年に関して何日間か出演契約交渉をしたがっていた時、ブライアンは直ぐには交渉できないと話した。そしてビートルズは、新年のショーなど12月17日から始まる2週間演奏することになっていた。ハンブルグでの時は刻々と過ぎたが、ビートルズにわかっているのは11月16日にイギリスに戻り、飛行機でロンドンに入ってプレス対応すること――キム・ベネットKim Bennettはビートルズをもう少しBBCのラジオ番組に出演させ、レコードはまだ売れていた――と、その午後ジョージ・マーティンと座って話すことだけだった。

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