しかし、ブライアンBrian Epsteinはレコーディング契約をあきらめようとはせず、デッカ・オーディションのコピーを持ってロンドンに戻った。
ブライアンはこの機に、オックスフォード・ストリートにあるHMVレコード店のマネージャーで知り合いのロバート・ボーストRobert Boastを尋ね、ロバートの事務所に座ると、ビートルズを聞きさえすれば、このバンドがすごいということが分かると文句を言った。
ボーストにはできない――レコードを売るのが仕事で作っていないから――が、HMVには地下に小さなスタディオがあって、だれもがテープ・デッキを持っているわけじゃないから、テープからデモ・レコードを作ることができるとアドバイスした。そこで二人は地下に行き、レコード作成係のジム・フォイJim Foyがレコードにコピーすると、ブライアンに、聞いている曲が好きだと話すとブライアンが、その3曲はビートルズだと言った。こんな表現をできるグループはほとんどいないので、発売したのかとフォイはブライアンに尋ねたところ、ブライアンは、いや、と答えた。フォイは出版本部長のシド・コールマンSid Colmanに電話するよう提案した。コールマンはレノン・マッカートニーの曲を発表したがった。ブライアンはレコーディング契約をしたかったので、契約すればEMIが発表できるとコールマンに行った。次に何が起きたのかは正確にはわからないが、2月13日、ブライアンはA&Rのジョージ・マーティンGeorge MartinとEMIで会うアポを設定した。
(コールマンはマーティンを全く好きでなかったので、コールマンが設定したのではなさそうだ。)マーティンは、聞いた曲をあまり気に入らなかったが、ブライアンからレコードを受け取り、お礼を言った。その間に、通りの向こう側では、シド・コールマンがレコードを数曲聴いて、ソング・プラガーの一人、キム・ベネットKim Bennettに、このレノン・マッカートニーLennon-McCartneyの曲、「ライク・ドリーマーズ・ドゥーLike Dreamers Do」をどう思うか尋ねた。
ベネットは気に入ったが、グループ名は気に入らず、EMIに行って、楽曲の出版権を手に入れるために出版社がレコーディング・セッションのお金を出すのにやぶさかではないと言うことに同意した。EMIはシド達に出版権を確保しろと言って、レコードを作らせた。
3月初め、ビートルズにとって画期的出来事が二つあったのだが、それは、BBCの放送とブライアンからのプレゼントで、自分の利用しているテーラーに連れて行って、舞台や、ラジオではあったが放送用のそろいのスーツの寸法合わせをしたのだった。
それはイメージ作りのためで、4人とも、ユルゲンフォルマーJurgen Vollmerの毛むくじゃらの髪型を採り入れ、全員が気に入ったキューバン・ヒールの靴を見つけ、これらのスーツ――淡いブルーのモヘア織に、狭い下襟とぴっちりしたパンツ――は確かにほかの田舎者ビート・グループが着ていなかった。
さらに、キャバーンではそのスーツを着させなかったし、次回のハンブルグ公演でも、どうしても着させなかった。変化が起こっていて、ブライアンは、逮捕されるが有罪にはならないハンブルグでもっとも手ごわい男ホルスト・ファッシングHorst Faschingの訪問を受けた。その男の話では、トップ・テンの公演はなくなるが、代わりに、マンフレッド・ワイスレダーManfred Weisslederという仲間が所有する、まだ改装中の新しいクラブでビートルズは演奏する、とのことだった。
契約締結のために、ホルストはブライアンに1000項目の注意事項を押し付けた。ジョン、ポール、ピートの試験採用期間が切れるところなので、彼らがビザを取得するため、ブライアンはドイツ当局のしかるべき手続きを踏む必要があった。彼らは、新しいクラブの完成を待っていて――すでにスタークラブthe Star-Club――という名前がついた――、トニーシェリダンTony Sheridanがこけら落としをすることは聞いているが、日付は知らない。
しかし、トニーはリンゴ・スター抜きでこけら落としをするのだろう。なぜならリンゴの祖母が病気になって亡くなり、今リバプールにいてそれに対応しているのだ。さらに、ハリケーンズThe Hurricanesには、バトリンのキャンプが6月にオープンするまで、フランスのアメリカ陸軍基地でグループを抱えるという良い申し出があった。リンゴが出かけてハリケーンズに参加する前、リンゴはピート・ベストが病気だったり何らかの理由でショーに出られないとき、数回代理で演奏したことがあった。リンゴはそのすべての経験を気に入っていて――ビートルズのメンバーは今まで一緒に演奏した者の誰よりもはるかに高いレベルにあった――、フランスに旅立つ準備をするちょっと前に、ビートルズが参加を要請していたのだ。リンゴはその招待に感謝したが、果たすべき責任があった。