ビートルズが戻ったリバプールは、たった数か月ではあったが、出発した土地とは微妙に違っていた。しかし、それを調べている時間はほとんどなかったのだが、その理由は、ハンブルグに戻れるまで何とか生き続ける方法を考えなければならなかったからだ。ポール・マッカートニーPaul McCartneyは、父親がしつこく言って、すぐに電機工場でコイルを巻く仕事に就いたが、他のメンバーは仕事を見つけるのをできるだけ遅らせようとした。
問題が起きたのだが、それは、アラン・ウィリアムスAlan Williamsがリバプールにトップ・テン・クラブthe Top Ten Clubの出先機関を開店したのだが、開店直後に全焼し、その影響もあってウィリアムスが潰瘍の検査のために入院したのだ。
ビートルズはウィリアムスとマネージメント契約を結んでいなかったので、ウィリアムスとコシュミダーKoschmiderとの関係はめちゃくちゃになり、ビートルズは仕事に精を出した。
キャバーンthe CavernのDJのボブ・ウーラーBob Woolerはしばらくの間、彼らの面倒を多少見て、ストゥがハンブルグから1月半ばに帰ってくると、ビートルズは5人に戻った。
ストゥStuart Sutcliffeはリバプールの芸術学校に戻ると教職を申請したが、アストリッドAstridはすぐに訪ねて来て、それがなければストゥの計画は漠然としていた。
ジョンは、地元のエプスタインEpstein家族が所有していた家具屋からレコード店に転換したネムスNemsをぶらついていたが、エプスタインの息子ブライアンBrianはロンドンで俳優になるのに失敗した後、店を引き受けて近代的に、テレビ、ラジオ、レコード・プレーヤー、レコードを強調した。
ブライアンはネムスをリバプールで最高のレコード店にしようと目論んでいて、どんなものでも入手できると主張した。ブライアンが手に入れたものはロンドン・アメリカンLondon Americanの45回転盤で、レノンはよく試聴ルームにいてビートルズのための素材を見つけ、当然ながら、アルドンAldon Musicの作家と、セプターScepter RecordsのA&Rであるルーサー・ディクソンLuther Dixonに狙いをつけていた。
ビートルズには今やライバルがいるので、新曲を探すことが重要になった。ローリーとハリケーンズRory and the Hurricanesはハンブルグから戻り、キングサイズ・テイラーとドミノーズKing-size Taylor and the Dominoesは格段に腕が上がり、ビッグ・スリーthe Big3(カスとカサノバスCass and the Cassanovasからカスが脱退)、そして、もちろんジェリーとペースメーカーズGerryand the Pacemakersも2月にハンブルグから戻っていた。
誰もが驚いたのはビートルズのことで、ハンブルグの経験によって調子が上がり、本当に週7日間働いていたのだ。町の北限にある乱暴なクラブでの仕事も多く、ある晩、数名のチンピラがストゥを階上のトイレに追い詰め、ぼこぼこにした。残りのメンバーが助けに来て、乱闘の中でジョンが指を骨折した。
しかし、一方でビートルズはドイツに戻りたかったので、ポールが手紙を下書きしたが、その中でバンビthe Bambiでの事件について謝罪し、違反に対して国外退去は重過ぎるという意見を表しこの下書きをアラン・ウィリアムスAllan Williamsの秘書に渡した。
この秘書は2部清書し、一通はポールPaulに、もう一通はピートPete Bestに渡して署名させアウスレンダァ警察署Auslanderpolizeiに郵送した。
ボブ・ウーラーはキャバーンの新オーナーのレイ・マクフォールRay McFallにクラブで演奏するようにかけあったのだが、空いてる時間帯はランチタイムの舞台だけで、ポールのように日中仕事をしている者にとってはちょっと難しかった。
ホット・ドッグとスープはもらえるが酒は禁止で、その匂いはキャバーンの他の臭いと良い勝負だったが、それでもビートルズは事務職、秘書、他の職種の新しい聴衆を魅了しようと一所懸命だった。
この結果、夜に演奏することとなり、ベストさんMrs. Bestは夜の演奏をできるように売り込んだ。3月までに、キャバーンはビートルズに一晩の申し出をし、ドイツでも事態は動き始めた。
いったん法律問題が片付けば、トップ・テンTop Tenの住人に関して、ウィリアムスはエクホルンPeter Eckhornと暫定的合意に達した。4月ごろには何度かストゥとアストリッドがハンブルグに戻った。ストゥと母親は、カップルの動静について絶えず論争していて(カップルはウィリアムスと一緒に生活していたのだが)、ストゥは申請していた芸術大学での地位を手に入れられなかった。仕方ないので、戻って絵を描き、もしビートルズが戻ってくればそこにも参加しよう、と決めた。3月末に実現した。ドイツ警察はポールとピートを1年間執行猶予のような形にして、もし、これ以上トラブルに巻き込まれなければ不起訴とすることになった。
ジョージはもう合法で、トップ・テンthe Top Tenはカイザーケラーより―わずかに―快適な場所だった。トニー・シェリダンTony Sheridanのバックをしたこともあり、長時間頑張るために、トニーはビートルズにやり続けられるダイエット薬(しかし中枢神経興奮剤のアンフェタミンでない)プレリュディンPreludinを紹介した。
トップ・テンのトイレ清掃員は小さな瓶を持っていて、ミュージシャンにダイエット薬を売り、ジョンは特にそれが好きだった。