母親の突然で偶発的な死はジョンJohn Lennonを深いうつ状態に引きずり込み、感じのよくない面が表面に現れ、人をいびったり、違っている人に対して皮肉っぽくなったり、冷酷になったりした。
ところが、ジョンは学生パブで新しい友人、ストゥワート・サトクリフStuart Sutcliffeに出会い、すべての点で真反対なのに――ストゥワートは絵画や芸術に対して真摯で、すごい才能があったが気さくだった――友人になった。
ストゥワートはジョンが芸術を語れる相手であり、その作品を畏怖していた。そしてジョンがストゥワートを独占できる芸術を持っていいたことは幸運だったのだが、何故なら、クォリー・メンは名前をジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグズJohnny and the Moondogsと名前を変えたものの、あまり仕事がなかったからだ。
彼らはスター・サーチStar Searchというテレビ番組のオーディションを受け合格し、マンチェスターで番組前半の演奏をしたのだが、番組が終わる前にリバプールを出発しなければならなかったので、優勝(テレビ番組に登場できる可能性がある)したかどうかが分からなかった。
一縷の望みがあった。それからラリー・パーンズLarry Parnesは町にやってきてロニー・ウィッチャリーRonny Wycherlyと契約したが、ロニーはすぐにビリー・フューリーBilly Furyになった。
その後、クリフ・リチャードとドリフターズCliff Richard and the Driftersの「ムーブ・イットMove It」は爆発的な勢いでラジオから流れ、ムーンドッグズthe Moondogs――すでに再び名前を変えようとしていた――は正しい道を進んでいると知った。
クリフ・リチャードとドリフターズは1959年を豪勢に終え、クリフは、テレビやラジオにどんどん出て、「シリアス・チャージSerious Charge」という映画も製作中で、4曲を録音した。
そのうちの一曲を、映画の宣伝のためにデッカにリリースしてもらうべきだとわかったが、デッカがリリースしていたリッキー・ネルソンRicky Nelsonのレコードの影響を後に受け、映画で最も良い曲は「リビング・ドールLiving Doll」だとわかって、サウンドトラックでしくじった。
彼らは再録音をするようにデッカを説得し、少しゆっくりして、ハンクにけだるく、ジェームス・バートンJames Burtonから刺激を受けたソロ演奏をし、ヒットした。
彼らは突然お金持ちになったので、ハンク・マービンは実際にフラミンゴ・ピンク色のフェンダー・ストラトキャスターFender Stratocaster をイギリスに輸入するところだった。
アメリカのギターはイギリスでは販売が許可されていなかった(フラマスFramusなどドイツ製は許可されていたが)ので、あの手この手で高額の関税を払い、直接取り引きするのがフェンダーFender のギターを入手する唯一の方法だった。
身近にあるイギリスで唯一のギターは、マーティ・ワイルドMarty Wildeのバンドのジム・サリバンJim Sullivanの所有するもので、マーティがシスター・ロゼッタ・サープSister Rosetta Tharpeから買った1955年製ギブソン・レス・ポール・ゴールドトップGibson Les Paul Goldtopだったが、ワイルドの成功に貢献したためにサリバンに与えられた。
シスター・ロゼッタは1940年代からギター演奏の伝道者をして、フォーク・ブルースのツアーでに行っていた。しかし、クリフは、あることでマーティに勝った。「リビング・ドールLiving Dollはうまくアメリカでヒットしたので、クリフとドリフターズthe Drifters――おっと、シャドウズthe Shadows――というのはアメリカのドリフターズthe Driftersというグループの「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビーThere Goes My Baby」がちょうどヒットしたばかりで、こっちのドリフターズの方がずっと長く活躍していて競争にならないと主張した――ので、アメリカ・ツアーに出かけたのだが、このレコードが30位止まりだったので打ち切りになった。
しかしシャドウズはニューヨーク48番街に行って、伝説の楽器店に行く機会があり、楽器を自ら入手した。クリフもニューヨークのどこかで、「エキスプレッソ・ボンゴExpesso Bongo」という映画を作ったが、それは彼らが登場して1958年からロンドンのウェスト・エンドでヒットした演劇の映画版だった。
それは、ボンゴ・ハーバートBongo Herbertという若者の物語で、怪しいマネージャーの助けを得て、ソーホーの薄汚れた舞台でショービジネスの中で台頭するのだが、それがリリースされると大論争となった。クリフは自分のファンに謝罪し、次はもっと健全な映画にすることを約束し、今でもその約束は守っている。