ブルースはまだ続いていたし売れてもいたが、「マディ・ウォーターズ・ツイストMuddy Waters Twist」は少し遅れてやってきた。
チェスは、よりソウルに傾いていたが、この年にボ・ディドリーBo Diddleyが思いがけず「ユー・キャント・ジャッジ・ア・ブック(バイ・ルッキング・アット・ザ・カバー)You Can’t Judge a Book(By Looking at the Cover)」で戻ってきた。
最先端のブルースをリリースしたのは、デューク・ピーコックDuke-Peacockだった。
ジュニア・パーカーJunior Parkerのドライビング・ホィールDriving Wheelアルバムは驚異的だったし、ボビー・ブランドBobby Blandのヒアリズ・ザ・マンHere’ the Man!は、ティーボーン・ウォカーT-Bone Walkerの「ストーミー・マンデーStormy Monday」や、ボビー自身の「ザッツ・ザ・ウェイ・ラブ・イズThat’s the Way Love Is」、「コール・ミーCall Me」のリメイクを後押しした。
カントリーは、ついに若い人が好機をとらえて、生きているしるしを示した。パツィー・クラインPatsy Clineにとっては良い年で、穏やかではあったがクロスオーバーのヒットが4曲あり、パツィーの友人のロレッタ・リンLoretta Lynnは新たにナッシュビルに来て「サクセスSuccess」だったと自信に満ちた発表をして、カントリーのトップ・テン入りさせた。
ジョージ・ジョーンズGeroge Jonesは数多くの古典的カントリーをレコーディングしたが、その中には「シー・シンクス・アイ・スティル・ケアShe Thinks I Still Care」や「ジャスト・サムワン・アイ・ユーストゥ・トゥ・ノウJust Someone I Used to Know」があった。
クラインなどナッシュビルのポップ・シンガーたちにとっては良い年で、ロイ・オービソンRoy Orbisonは彼のもっとも不気味な曲の一つ「リアLeah」をリリースする一方、エバリー・ブラザースEverly BrothersはアルドンAldonを訪問して、ハワード・グリーンフィールドHoward Greenfieldとキャロル・キングCarole Kingの曲「クライング・イン・ザ・レインCrying in the Rain」を持ち帰り、トップ・テンに入った。
ソウルは自己を確立しつつあった。ドン・ガードナーDon Gardnerとディー・ディー・フォードDee Dee Fordは「アイ・ニード・ユア・ラビンI Need Your Lovin’」でゴスペル風になり、ボビー・ロビンソンBobby Robinsonのファイヤー・レーベルFire Labelから出てヒットし、レイ・チャールズRay Charlesはニュー・サウンズ・イン・カントリー・アンド・ウェスタン・ミュージックNew Sounds in Country and Western Musicの第2巻を発表した。
そして、ベリー・ゴーディBerry Gordyはソウルが白人の10代を遠ざけてしますと考えているようだったが、ミラクルズMiraclesの次の2曲のシングル、「ウェイ・オーバー・ゼアWay Over There」と特にその次の作品「ユーブ・リアリー・ゴット・ア・ホールド・オン・ミーYou’ve Really Got a Hold on Me」は、ゴスペルの歌い方がふんだんに盛り込まれていた。
アイク・アンド・ティナ・ターナーIke and Tina Turnerは、アイクが未払いの推計33万ドルの印税を要求して、ジャギー・マレイJuggy Murrayを訴えようと決めた時にはまだ成功途中で、二人のキャリアは凍結した。
スペクターPhil Specterは、もちろんゴーディと考えが違っており、彼が新たに見出し、自分がヒットさせたばかりのクリスタルズthe Crystalsで歌ったボーカルが次にリリースした「ジッパ・ディー・ドゥ・ダZip-A-Dee-Do-Dah」でリード・シンガーとなった。
この曲はBob B.Soxx and the Blue Jeansとして世に出たが、歌っているのはダーレン・ラブDarlene Loveだ。
スペクターは、ラブをフィーチャーして、年末にクリスタルズthe Crystalsの「ヒーズ・シュア・ザ・ボーイ・アイ・ラブHe’s Sure the Boy I Love」を出した。
そして、他の変わったサウンドが出回っていた。長年にわたってティーン・アイドルとして成功しようとしてきたボブ・クリューBob Creweは、ニュージャージー出身の白人ボーカル・グループのバリエトーンズthe Varietonesを見出したが、彼らはRCAからシングルを2枚出して成果を上げられなかった。
他のシンガーたちと調和している甲高いファルセットの持ち主のフランキー・バリFrankie Vallieに魅せられて、このグループのメインのソングライターであるボブ・ゴーディオBob Gaudioと共作すれば成功するかもしれないと考えたが、こともあろうにシカゴのビージェイVee-Jayと契約させた。
彼らはボウリング場から名前をとってフォー・シーズンスthe Four Seasonsと改名し、最初のシングル「シェリーSherry」は1位になり、「ビッグ・ガールズ・ドンクライBig Girls Don’t Cry」 も1位になった。
フォー・シーズンスは評価の大きく分かれるグループで、ニューヨーク訛りと鼻声がかかっていると思う人と、思わない人がいた。そして、異様な音と言えば、次の曲の変わった音の入った怪奇なインストゥルメンタルはなんだ?それは、「テルスターTelstar」で、通信衛星にちなんでいて、どうやらトルネイドーズthe Tornadoesが演奏し、来たのは・・・イギリスから?