しかし確かに、『良い音楽』は存在していたが、フランク・シナトラFrank Sinatraは多くのシングル・ヒットをチャート・インさせなかったし、トニー・ベネットTony Bennettでさえグラミー賞のレコード・オブ・ザ・イヤーを獲得した「想い出のサンフランシスコI Left My Heart in San Francisco」はトップ20に長いこといなかった。
また、新たな展開はボビー・ダーリンBobby Darinで、4年間いたアトランティックAtlanticを離れ、キャピトルCapitolと契約した。
レコード・ビジネスは全体としてアルバムがうまく行っていて、1962年はオリジナルキャストのアルバムが数枚リリースされた―—オリバー!Oliver!、ノー・ストリングスNo Strings、
アイ・キャン・ゲット・イット・フォー・ユー・ホールセールI Can Get It For You Wholesale(コロンビアが最近契約したばかりのバーバラ・ストレイザンドBarbra Streisandをフィーチャーした)、
ストップ・ザ・ワールドStop the World―—アイ・ウォントゥ・ゲット・オフI Want to Get Off――この頃同時にいたのは、有名なヒット作品のキャメロットCamelot、
ウェスト・サイド・ストーリーWest Side Story、フィオレロFiorello、そしてサウンド・オブ・ミュージックThe Sound of Musicはチャートに固定されたように思えた。
そしてもちろんエルビスのサウンドトラック(この年はガールズ!ガールズ!ガールズ!Girls!Girls!Girls!)。
加えて『良い音楽』スターの新時代の兆候があった。ボビー・ライデルBobby Ridellの最新作はビッグ・バンドへの賛辞で、まさしく変化しつつある部分だったが、カリフォルニアでは、フィル・スペクターPhil Spectorの仲間であるハーブ・アルパートHerb Alpertとジェリー・モスJerry Mossが、新レーベルのA&Mを始め、ティファナ・ブラスTijuana Brassと彼が名付けたスタディオ・ミュージシャン・グループと一緒に、アルバートのトランペットによるインストゥルメンタル曲を発売した。
そしてブラジルで生まれたボサ・ノバBossa Novaという、とても洗練された新しいサウンドがお店で販売され始めたが、最初はスタン・ゲッツStan Getzのジャズ・サンバJazz Sambaというアルバムで、ギタリストのチャーリー・バードCharlie Byrdもいた。
それから、様々なアーティストがそのアルバムから出た「ワンノート・サンバOne-Note Samba」のカバーを試した。しかし、ジョイ・ディーとスターライターズJoey Dee and the Starlitersの2本目の映画は、『ツイスト』がタイトルについているものから、『トゥー・ティケッツ・トゥ・パリスTwo Tickets to Paris』へと変わった。
コントゥワースthe Contoursが知っているように、今や世の中にはダンスがたくさんあった。
ポピュラー音楽を買う人も、もっとたくさんになり、ロックンロールによって形作られた2世代がいた。それは単なるオリジナル・サウンドOriginal Soundのオールディーズ・バット・グッディーズOldies But Goodiesのレコードではなく、たくさんのレーベルが自分の古いレコードを、ノスタルジックなパッケージのアルバムに入れて、ヒット集とするか、地元の有名なディスク・ジョッキーの名前でカバーにその顔を載せるかして売った。