学校が終わるのと同時に、夏のレコードが始まる。最初は、シンシナティのグループ、アイズレー・ブラザースIsley Brothersの「ツイスト・アンド・シャウトTwist and Shout」で、このグループは1959年に教会のちょっとした仕事で「シャウトShout」というポップ・ヒットを出し、バート・バーンズBert Bernsと一緒に、それをスローに作り直し、ラテンっぽいビートを入れて、セプター・レコードScepter Recordsからデビューした。
これは夏のダンス・レコードなの?マイアミはバグthe bugという新しいダンスを報じ、ディー・ディー・シャープDee Dee Sharpはまだ「マッシュトゥ・ポテトMashed Potatoes」が流行っていると説明し、シャープの友達のフィラデルフィアっ子のオーロンズthe Orlonsは「ワー・ワツシWah Watusi」を踊り、まだ決定打はない。
リトル・エバLittle EvaがアルドンAldon Musicの新レーベルのディメンション・レコードDimension recordsから躍り出て、誰もが一列に並んで列車のようになる。
これはゴフィン・キングGoffin-Kingの曲だが、エバ(本名エバ・ナーシサス・ボイドEva Narcissus Boyd)はゴフィン家のベビーシッターで、ある日エバが居間で、そのダンスを見ているのを見つけた。
実は、エバはノース・カロライナ出身のクッキーズthe Cookiesの友達で、そのクッキーズのメンバーは友人の要望に屈して北に引っ越したのだが、ゴフィン家の仕事はクッキーズにとって最も大事で、エバはゴフィンGoffinの二人の娘、ルイーズLouiseとシェリーSherryの世話をするのと同じくらい、クッキーズのデモ録音を手伝っていた。
エバには虐待的なボーイフレンドがいて、それに触発されて「ヒー・ヒット・ミー(イットゥ・フェルトゥ・ライク・ア・キスHe Hit Me(It Felt Like a Kiss))となった。「ザ・ロコモーションThe Loco-Motion」はディメンション・レコードDimension recordsの最初のレコードで、1位になったが、その虐待者が、虐待の事実を公表するためにエバの結婚した相手かどうかは分からない。
しかし、この夏最大のダンス・レコードは、おそらくモータウンMotownのコントゥアーズthe Contoursから出たもので、彼らはある晩、コンサートからの帰りにヒッツビルHitsvilleに立ち寄ったところ、ベリー・ゴーディーBerry Gordyが書き上げた新曲をたたいていた。
「君たちはテンプテーションズを見たことがある?」と、ついにテンプテーションズをブレークさせる曲を見つけたと思いながら尋ねた。コントゥアーズは見たことがなかった(テンプテーションズは、教会でディキシー・ハミングバーズthe Dixie Humming-birdsのゴスペルの演目を見ていた)ので、ゴーディは代わりにコントゥアーズにその曲を教え、「ドゥ・ユ・ラブ・ミーDo You Love Me」が彼らの最初で最大のヒットになった。
シンガーがダンスをできるので、その彼女に自分のことが好きか聞き、ステージ上でちゃんと実演できる様々なダンス曲をどんどん演奏する。全部がダンスによる運動で、終わりにかけで、曲が弱くなると見せかけて、たまらなくなるほどに追加があり、「ドゥ・ユ・ラブ・ミー」と叫びながら戻るので、ディスク・ジョッキーは混乱する。