キング・カーティスKing Curtisは「ソウル・ツイストSoul Twist」をヒットさせ、チャビー・チェッカーChubby Checkerは「すろー・ツイスティンSlow Twistin’」で深掘りし、
レス・エルガートLes Elgartは彼の「ツイスト・ゴーズ・トゥ・カレッジTwist Goes to College」アルバムをリリースし、ゲーリーUSボンズGary “U.S.” Bondsは彼の最新ヒット「ディア・レディ・ツイストDear Lady Twist」を含むTwist Up Calypsoをリリースし、
サム・クックは「ツイスティン・ザ・ナイト・アウェイTwistin’ the Night Away」のアルバムとシングルをリリースし、ボブ・ウィルスBob Willsの同窓生トミー・オールサップTommy Allsupは「スイスティン・ザ・カントリー・クラシックスTwistin’ the Country Classics」を発売し、
ツイストのアルバム―レコード会社によってツイストとして編集された曲―がチャック・ベリーChuck Berryとボ・ディドリーBoDiddley(当人はそういうことが起きていることは知らず、いかなるツイスト関連の素材をレコーディングしたことは無かったようだ。)でリリースされた。
ボビー・ライデルBobby Rydellとチャビー・チェッカーChubby Checkerも「ティーチ・ミー・トゥ・トゥイストTeach Me to Twist」を発売ししたがボビーは要求するのが少し遅れ、アーメット・アーティガンAhmet Ertegunはビルボード誌に、何があっても大衆はツイストをし続けるので、ペパーミント・ラウンジPeppermitn Loungeに常に居て、知らなければならないと言った。
しかし、ツイストがいったん世界のアーメット・アーティガンに採用されたのだから、もはやティーネージのものではなくなったものの、ティーネージャの数は再び増加していた。南カリフォルニアにあって、ロサンジェルスの南の郊外のホーソーンでは、ティーネージャーたちが、自分の手で問題に対処し始めた。「サーフィンは僕にとって唯一の生活であり、ただ一つの道だ」と彼らは歌うが、「彼ら」とは3人兄弟とその従妹2人だ。ところが彼らのうち、デニス・ウィルソンDennis Wilsonしかサーフィンをせず、カールCarlとブライアンBraian兄弟二人は、アル・ジャーディンAl Jardineとマイク・ラブMike Loveのいとこたちと同様、むしろ音楽に関心があった。
しかしウィルソン家族は父親のマリーMurray Wilsonが率いていて、音楽の分野では成功しなかったが、ロサンジェルスの音楽業界にはたくさんのつてを持っていて、子供たちが「サーフィン」のレコードを作りたいと言った時、ガレージの中で作ったテープをレコードにプレスするお金を出してやった。魅力的なボーカルのインタープレーとストンプ・ビートは(ブライアンが)ごみ入れで演奏したものだった。キャンディックスCandixレーベルからビーチ・ボーイズthe Beach Boys(以前はサーファーのユニフォームになっていた感もあるフランネルのシャルで格子縞のペンドゥルトンPendletonを参考にしてペンドゥルトーンズthe Pendletonesで、その前はボーカル・グループのカールとパッションズCarl and the Passionsだった)としてリリースした曲はこの春72位どまりだったが、よろよろ歩きだったことを考えれば注目に値する。
(B面はインストゥルメンタルのルーアウLuau。)マリーはコネを頼って、キャピトルCapitolレコードの友人何人かに聞いてもらったところ契約を申し出てくれた。