ドン・カーシュナーDon Kirshnerは張り切り屋の若いソングライターで、リゾート地でティーネージのベルボーイとして働いている間に、クルーナーのフランキー・レインFrankie Laineに自分の最初の曲を売り込み、その交換としてフランキー・レインはプロフェッショナルとして身を立てていくのに十分な知識を与えた。
カーシュナーの意見によると、ティーネージ・マーケット向けに書かれた曲の多くが失敗に終わるのは、それを作る中年の男にとってティーネージの経験がはるか遠くになってしまったからだが、1958年に彼はまだたった23歳だった。カーシュナーはアル・ネビンスAl Nevinsに会ったが、ネビンスは40代の元シンガーで、「トゥワイライト・タイムTwilight Time」の共同制作者だったが、この曲はその年、プラターズthe Plattersのヒット曲となった。新しいマーケットができたことによって儲かる生活が転がりこむのを見てしまったので、ネビンスはカーシュナーをパートナーとして仲間に入れ、ソングライター探しに入った。
最初のソングライターは、ニール・セダカNeil Sedakaとハワード・グリーンフィールドHowie Greenfieldで、二人の「ストゥーピッド・キューピッドStupid Cuped」は、カーシューの友人であるコニー・フランシスにとって、1958年のビッグ・ヒットとなった。
セダカはトーケンズthe Tokensのメンバーだったが、このグループはピート・シーガ―のお気に入りである「ウィモウェWimowhe」(実際は黒人の南アフリカのアーティストであるソロモン・リンダSolomon Lindaが書いた)から借りてきた「ライオンは寝ているThe Lion Slieeps Tonight」のヒットがあるボーカル・グループだ。
グリーンフィールドはセダカより3歳年上で、10代のころからの友人だった。それから「シビれさせたのは誰Who Put the Bomp」で有名なバリー・マンBarry Mannとそのガール・フレンドですぐに妻になるシンシア・ワイルCynthia Weilが参加した。
キャロル・キングCarole King が1959年に契約し、その結果グリーンフィールドGreenfieldとセダカSedakaがニールNeilにトップテンヒット「オー!キャロルOh!Carol」(セダカはキャロル・クラインCarol Kleinと同じ高校に通っていて、2、3回デートしたことがあった)を書き、この曲はもちろんアンサー・レコード「オー!ニールOh!Neil」を後押しした。
ティーネージャーたちが何を考えたにせよ、これはあるドン・オフィスのロマンではなかった。というのは、キャロルは別の19歳ので、キャロルの主な曲作りのパートナーであり、「オー!ニール」を書いた、ジェリー・ゴフィンGerry Goffinと結婚したのだ。
1962年、あるドンは曲作りのもう一組のカップルである、ジェフ・バリーJeff Barryとエリー・グリニッチEllie Greenwichを加え、二人とも別の人のために曲を書き、グリニッチのためにリーバー・ストラーLeiber and Stollerと一緒にやる仕事もした。
アルドンはカップルとだけ仕事をしたわけではなかった。ポール・サイモンPaul Simonはクイーンズのフォレストヒルズ出身の背が低く情熱的な人物で、子供からの友人アート・ガーファンクルArt Garfunkelと、トム・アンド・ジェリーTom and Jerryで1957年にヒット曲を出した。
そして後にアルドンは、別のブルックリンっ子で意欲的なフォークシンガーのニール・ダイヤモンドNeil Diamondをエリー・グリニッチの推薦で陣容に加えた。
もしブリル・ビルディングBrill Buildingが既にティン・パン・アレーTin Pan Alley(1920年代に始まったニューヨークの作曲地区の名前で、窓を開け、たくさんのピアノが様々なキーで弾かれたので調理器具が一緒に叩かれているように聞こえたところから、つけられた)の本部だとしたら、それは、アルドンやリーバー・アンド・ストラーLeiber and Stollerの仲間の庇護の下でティーン・パン・アレーTeen Pan Alleyに変身していた。
アルドンの作家たちはレギュラーのパートナーに限られていたわけではなかったし、お互いに助け合って仕上げたり、微調整したりした。それから作家かスタディオ・ミュージシャンのどちらかと一緒にデモ版を録音し、曲が聞こえ方を助言した。でも録音の中には特に、アール・ジャン・マククレアEarl-Jean McCrea、ドロシー・ジョーンズDorothy Jones、マーガレット・ロスMargaret Rossのボーカル・トリオ―クッキーズthe Cookiesとして知られている―をフィーチャーした曲は十分良かったので、アルドンの組織内レーベルのディメンションDimention recordsからリリースした。